民団新聞 MINDAN
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21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<28>



学校PRへ“まつり”開催
蔡連錫・建国高日本語科教師

 近年生徒の減少がいちじるしく、その原因がどこにあるのか、現場にいる教師達はいろいろ考えた。我々が思うほど、「建国」のよさが外の人達に知られていないのではないか、という意見も出た。

 それでは、「建国」がこんな学校であるという事を知ってもらおう。それには「お祭り」が一番、というわけで、今までにない新しい「祭り(フエスティバル)」を創出しようということになった。

 従来の学園祭では、外部の人は門をくぐって入りにくい。しかも、生徒数も少なく他校の文化祭にくらべて、それほどにぎやかでない。そこで積極的に外部の人に入ってもらう。それにはフリーマーケット形式がよいだろう。教職員の有志が集まった3月の会議で、そんな事が話し合われた。

 その「祭り」の名称は韓国の市場の雑踏をあらわす「ナンジャン」にきまった。市場のにぎわいは生きている事のよろこびを生む。アジアの市場が大阪にやってくる。大阪に住む人たちにこの市場の熱気を体験してもらおう。

 実施が決まった後の1学期の会議では、いつがよいのか討議が重ねられた。幼稚園、小学校、中学校、高校の教職員、それに生徒、PTAと、みんなが共に参加できる日はなかなか決められなかった。そこで、中高中心で11月12日にすることになった。

 日程がきまると、宣伝活動やフリーマーケットの出店者募集などの仕事が待っている。ラジオ局や新聞社への売り込みは、私たちの企画に積極的に賛同してくれた外部のイベントプロデューサーがボランティアでやってくれた。

 1カ月後にせまった10月、出店者や舞台の出演者は学校関係者しか集まらない。当初こちらが意図していた「アジアの市場」が名前だけのもので終わりそうなので、あせる。

 学校の近くの浅香人権センターで、外国人に日本語を教えていると聞き、10月2日夜の8時、パンフレットをもって押しかける。そこにはタイの人、中国の人、サリー姿のスリランカの人とさまざまな国の人が集まっていた。

 「お国自慢の料理を作って売ってください。売り上げはそちらのものです」。果たして、こちらの日本語がどれだけわかるのか、疑問に思ったが、一通り、ナンジャンの趣旨を説明する。この人たちが来てくれたら、それこそ国際色豊かな祭りができるぞ、と小躍りした。

 ところが、後でわかったのだが、11月12日はこの人権センターでも同じような行事が組まれているとの事で、残念ながら、この人たちの参加は実現できなかった。

 失意で過ごしていたある日、家に帰る道をいつもと変えて商店街を通ったところ、原色の見慣れぬ看板が目に入った。「疲労回復、秘薬ウコン」。この時、直感的にこれだと思った。思わず飛び込むと、普段は留守がちのその店に、たまたま店の主人が居て、ただ、やみくもにナンジャンの話をした。

 すると、不思議なことにその店の主人は待っていたかのように、こちらの話をにこにこしながら聞いてくれ、しかも簡単に一言「やりましょう」と言うのだ。

 聞くところによるとフリーマーケットの常連者で、大阪府下の名だたるフリーマーケットには欠かさず参加しているとの事だ。大阪の沖縄県人会の会長さんで、沖縄の事を広く知ってもらいたい一心から、沖縄の人たちを集めてフリーマーケットに出るというのだ。しかも、こちらの話を聞いて、舞台で沖縄の「エイサー」を踊るグループを紹介してくれると言う。

 その日の内に、一緒に大正区の民謡酒場に行こうという。まるで、タレントをスカウトしにいくプロデューサーみたいに、社長さんの運転する白のベンツに乗って、宵闇のせまる湾岸線を民謡酒場まで突っ走った。

 人との出会いというものは不思議なもので、こちらが望んでいれば、向こうから人がやってくる。また、一つの目的をもっていれば、同じような目的を持っている人が磁石のように吸い寄せられ、大きなプロジェクトができあがる。

 これはできそうもないなと思ったことでも、やってみればなんとなくでき上がってしまうのだ。なんとなくでき上がったものにしては、「ナンジャン」は内外ともに好評だった。

(2001.04.04 民団新聞)



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