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『日韓あわせ鏡』の著者

徐賢燮・駐横浜韓国総領事



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「似て非なる韓日」が持論
だからこそ相互理解が必要

 今年3月に駐横浜韓国総領事に赴任した徐賢燮総領事は、日本をよく知る外交官として有名だ。福岡総領事時代には、「九州が肌に合う」と、肩のこらないつきあいで見聞を一層広めた。その一端を地元の新聞に50回連載したものが、このほど加筆され、『日韓あわせ鏡』(西日本新聞社刊)と題して発刊された。

 「近くて遠い国」と言われてきた韓国と日本。徐総領事は常に両国の友好関係の進展を考えている。ところが、政治レベルだけではどうしても難しい局面が出てくる。再燃した「歴史教科書問題」もその典型だと言える。

 だからこそ、21世紀の交流の主役を市民が担うべきで、市民レベルの交流をもっと深めたいとの思いが、執筆活動に駆り立てる。今回の著書では、「よき隣人として韓日交流」を願う、人好きでカトリック信者の著者が、梨花女子大に通う長女の挿し絵を使ってほのぼのとした味わいが特徴になっている。


◇  ◆  ◇

 「日本の一般の人は、韓国人の本当の心を知らない。韓日の文化が非常に似ているから同じだと錯覚するが、実際は似て非なるもの」と日本人に向けて語る。

 その一方で、日本人に対して文化的な優越感を持っている韓国人に対しては、「仏教や漢字を伝えたと言う。それは歴史的な事実だが、文化交流というのは、文字通り流れていくもので、一方からだけ伝えていくものではない。ある時期には韓国から、ある時期には日本から文化は交流するということを理解してほしい」と願う。

 1975年、駐日韓国大使館三等書記官時代に明治大学大学院に入学し、国際法の権威、宮崎繁樹教授のもとで、「在日韓国人の法的地位に関する研究」を執筆、修士号を取得した。このことは在日同胞の問題を考える大きなきっかけになったと同時に、人間と人間との出会いのすばらしさを胸に刻みこんだ。

 わずか五、6歳の頃、韓国戦争の最中に父を突然亡くしたこともあり、父と同じ世代の恩師に出会うことで情の琴線に触れた。その時の思いが「父の情と恩師」というエッセイに書かれている。いつまでも変わることのない恩師への尊敬の念は、常に口にする母校愛と日本への優しいまなざしに通じる。日本近代史の研究を始めたのもその影響か。88年には「近代韓日関係と国際法の受容」で法学博士号を取得した。


◇  ◆  ◇

 日本をよく知る一例として、1990年の廬泰愚大統領訪日時の演説があげられる。日本でも無名に近かった朝鮮通信使時代の外交官・雨森芳洲のことを大統領が演説で取りあげたことで衆目をうならせたが、その原稿の草案を書いた。また、韓国特派員が書いて韓国でベストセラーになった『日本はない』に対抗して『日本の底力(原題・日本はある)』を書き上げたことも記憶に新しい。

 日本で生まれ、日本で骨を埋める在日同胞に対しても独自の考えを持っている。向学心に燃える青年を10人選抜して米国で勉強させ、ノーベル賞を取れるくらいの優秀な人材に育てようというのだ。

 「教育への投資で尊敬される人間をつくり、世界のオピニオンリーダーになってほしい。在日同胞は韓日両国に政治利用されない自立した存在になるべきです」。

(2001.05.16 民団新聞)



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