民団新聞 MINDAN
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青年会「歴史伝える運動」キャラバン隊

会員ら北海道巡回、「苦難史」に驚き



札幌に住む李鉉洙宅を訪ねて
聞き取り調査するキャラバン隊と
地元青年会員

 【北海道】在日同胞が生きてきた生活史を記録し、後世に伝えていこうと青年会(金昌敏中央会長)が展開している「歴史を伝える運動―自分探しの旅」の全国キャラバンが5月8日から北海道と福島県で始まった。北海道から九州まで在日同胞の足跡を訪ね、500人から聞き取り調査を行う。

 キャラバン隊は北海道から太平洋側を南下する「太平洋キャラバン」と主に日本海側を移動する「臨海キャラバン」の2班が活動を開始した。

 北海道入りしたのは李秀南隊長と林永起隊員。青年会北海道本部の辛順学会長と北海道東部、オホーツク海に面した紋別、中標津から1世宅を訪問して渡日経緯や解放後の生活などを聞いた。


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ダム工事で次々犠牲
「朝鮮帰れ!」の罵声、今も耳に…

 紋別の朴南七さん(80)からは過酷な労働で次々と同胞が死んでいく状況を聞き、驚きを隠せなかった。

 札幌では、地元青年会の安知代さん(25)も加わり、12、13の両日、市内を中心に4人の1世に聞き取り調査を行った。朴斗永さん(北海道韓商副会長、76)は15〜16歳ころから転々と土木工や鉄工所で働きながら生きてきたことや、九州で迎えた解放時に人に見られないように山の中で牛をつぶして仲間と祝ったという。また解放後は、ヤミ商売か密造酒づくりでしか生活できない状況の中で、生きていくために飴づくりやスクラップなど何でも手を染めなければならなかった状況を話した。

 見習い工募集の張り紙を見て訪ねたところ「チョウセンか、帰れ」と浴びせられた罵声が今も耳に残っているという李鉉洙さん(78)。日本官憲の御用組織であった協和会を批判したために殴る蹴るの暴行を受けた後、特高から付け回されたためにやむなく北海道に。住友工業鴻之舞鉱山で入ったトイレの壁に、故郷や父母への思いがびっしりとハングルで刻まれていたのを見て、あまりの悲惨さに二度とそのトイレに入らなくなったエピソードも話した。

 東区に住む全治伯さん(76)は忠清北道から渡日した。小学校2年の時から土地は日本人が管理していたことや同胞が白い服を着て歩いていると黒い水が入った水鉄砲で真っ黒にされるという経験を語った。解放後も統制品の海産物を大阪へ運び、長靴や屋根を葺く釘などを入手して北海道で売りさばくヤミ商売や沈没した船を引き揚げてスクラップとして売り、生活してきたという。

 満州(中国東北部)で生まれ留学のために渡日していた文秉トさん(75)は徴兵されるが、日本の軍隊に行きたくないためにドイツ大使館の職員試験を受験して合格、徴兵を逃れた話を披露した。

 1世たちの苦労の連続に、安さんは「もっとちゃんと在日同胞の歴史を知らなければ」と紅潮気味に語り、辛会長も「北海道の歴史を伝えていくためにも頑張りたい」と決意を話した。

(2001.05.16 民団新聞)



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