民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
在日韓国人意識調査・活動余録

滝田祥子(横浜市立大学教員)



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「民族」意識の中身、問いただす

 私は現在横浜市内の大学で社会学を教えている。授業の重要なテーマの一つは、国境を越える人の移動が大規模、かつ継続化していく世界の趨勢の中で、「国籍」もしくは「日本社会の構成員」というカテゴリーの中身を問い直すことにある。

 国際移住機構(IOM)の報告書によると、祖国を離れて海外に移住した人が2000年には全世界で1億5000万人に達するという。

 世界の総人口は約60億人なので、地球上の40人に1人が自分の保持する国籍と居住国の国籍との間にギャップがある「定住外国人」として暮らしているという状況が生まれており、これからの近代国民国家体制の行く末を考えていく上でも無視できない存在となっている。

 本意識調査の結果もこのような新しい枠組みの中で理解されていくべきだろう。

 日本社会はこれまで、〈日本社会の構成員=国民=国籍=民族〉という図式で「単一民族国家」神話を維持させようとしてきた。

 しかし、そんな日本社会そのものも変わりつつある。変わらざるを得ない状況に追い込まれているというのが、より適当な表現かもしれない。

 80年代半ば以降ニュー・カマーが大量に来日したことにより、日本に居住する外国人の数は総人口の1・2%を超えたことを鑑み、故小渕首相のブレーンであった「21世紀日本の構想」懇談会は2000年1月の答申で「グローバル化に積極的に対応し、日本の活力を維持していくためには、21世紀には、多くの外国人が普通に、快適に日本で暮らせる総合的な環境を作ることが不可避である」と言明した。

 最近の永住(定住)外国人への地方参政権付与をめぐる一連の動きを見ると、それとは逆方向の動きが強くなっているかのように危惧されるが、(たとえ、たった一度であっても)日本社会が目指す方向性として「定住外国人」をも含めた社会構成が日本人のマジョリティーの側から提示されたことの意義は見逃せない。

 一方、在日韓国人社会の中にもこれまで「民族」神話というものがあったことは確認しておくべきだろう。

 〈民族=祖国=母国=韓国(籍)=韓民族〉というような一元的な図式が知らず知らずのうちのできている。

 かつてのように、「帰化をした同胞は民族の裏切り者である」というような反応は少なくなってきてはいるようだが、年間1万人近くが日本国籍を取得している現状の中で、「国籍」とは別の次元で在日の「民族」性の現在を考えていくことはできないだろうか。

 私の授業を受けている学生の1人も帰化をして日本名を名乗っているが、おおぜいの日本人受講生の前で、「自分は日本と韓国の両方の文化を持っていることを誇りに思うし、在日の人たちの努力のあとを汚さないように頑張っていきたい」と話していた。

 この発言に表明されているのは、「国籍」や韓国と直接に結びついた「民族」意識とは別に、自分が日本社会の中で生きていながらも、マジョリティーとは異なる文化を保持していることに対する特別かつ肯定的な自己認識である。

 今回の意識調査の結果としても、とくに3世以降の世代に同様な傾向が強く出ている。「日本人か韓国人か」という二者択一ではなく、「日本人でもあるし、韓国人でもある(それに地球人でもある)」、そして、時と場合によってその比重は変わってくるというような多元的かつ自由可変な自己認識だ。

〈社会の構成員=国籍=民族〉の枠組みを超えるのは日本人が先か、在日韓国人が先か。おそらく、それは両者の共同作業によって成し遂げられることになるだろう。本調査の結果がそのプロセスを助けていくデータ的な裏づけを提供できれば幸いである。

(2001.06.13 民団新聞)



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