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在日韓国人意識調査・活動余録

椎野信雄(日本の戦争責任資料センター事務局長)



 「在日韓国人意識調査」にひょんなことから参加することになったと前回のべたが、ひょんなことをしていない時には、「差異」の知識社会学のようなことを考えている。民族・国籍・市民・階級・人種・性別・性愛・能力などといった近代社会が人々に課してくる「差異」の現象について<知識>の社会学的なアプローチをしてみたいと考えているのだ。<知識>の社会学をより専門的にいうとエスノメソドロジー社会学ということになる。

 この調査に参加しながら特に考えているのは、「民族」ということばの日本語言説空間での使用法についてである。以下では、わたしの「民族」ということばについてのこだわりを少し書いてみたい。「民族」というものを、本質主義的な内容や対象としてではなく、ある種の言説実践の「関数」として形式的に扱うことで独自のアプローチをしてみたいと思っている。

 日本語で「民族」について考察する際に、まず理解しておかなければならないことは、「民族」ということばが翻訳語であるという事実だろう。日本語言説空間に最初から「民族」という概念があったわけではないのだ。では、いつごろそしてどのように「民族」ということばが作られたのかというと、百年ほど前の明治期に、他の大量の西洋の諸概念が

翻訳されて日本語になっていった時に、nation(という英語・仏語)の訳語として日本の言説空間に登場してきたのである。  nationという英語や仏語は今では「国民」や「国家」として訳されることが多いので、「民族」とは別のことばのように理解されてしまっている。だが、日本語の「民族」と「国民」と「国家」の微妙な関連を認識すると、そこには普段は見えていないさまざまなことを明らかにするカギが隠されていることが分かってくる。では、nationが「民族」「国民」「国家」になった時に、日本語言説空間では何が起こっていたのだろうか。そもそもnationとは英語や仏語ではどのような概念だったのだろうか。

 英語・仏語においてnationという概念が登場したのは、フランス革命前後のnation-state(EtatNational)<国民国家>という理念の下においてである。ここでは<国家>とはstate(Etat)であり、このstateの構成員がnationとなっている。<国家>を構成する人々がnationという人々ということになったのだ。こうしてnationが、近代国家を構成する人々の単位として<国民>=<民族>概念になっていったのだ。

 ところが、この<国家>概念であるstateを日本語に翻訳する時に、ある変化が生じたのだ。stateは単に<国家>と訳されたのではなく、天皇制「国家」を意味するように「国家」と訳されたのである。このことは日本語の単語の「国家」のどこにも痕跡はないが、日本語では「国家」とは単なるstateではなく、天皇制「国家」のことを意味しているのだ。

 同様にnationが「国民」と訳された時、その含意は天皇制「国家」を構成する「民族」ということになったのだ。ここにおいて日本語言説空間では「単一民族国民国家」のロゴスが形成されることになった。これ以降、日本語言説空間の中で考える限り、「単一民族国民国家」のロゴスをさまざまなレベルで再生産する言説が流布されるようになった。この言説空間の中で「民族」差別問題を論じるかぎり、反差別だろうと容差別で

あろうと、このロゴスを再生産するしかないような幻想がほぼリアリティになったのである。

 実は「民族」という「差異」は、日本語言説空間では独特の動き方をしている。「在日韓国人」調査を続けながら、上記のロゴスが唯一のロゴスではないことを示す言説空間に気づくことの重要性を再認識している。こんなことを考えながら「ひょんなこと」を続けている今日この頃である。

(2001.07.11 民団新聞)



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