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「自己証明」を熱く語る1世
失われた集落の歴史を浮き彫りに
「歴史を伝える運動」の地方聞き取り調査は、1世たちの名簿と在外国民登録原本から当時の職業・経歴を見て、聞き取り調査をさせて欲しいという連絡を入れることから始まる。
だが、その登録原本には「死亡」の字が目立つ。連絡が取れても入院中、寝たきりという言葉が返ってくることも少なくない。
巡回した地方本部では「あと10年早かったらなぁ」と一様に同じ返事が返ってくる。確かに遅かった。年を重ねるにつれ、同胞が集住していた集落も、そのほとんどが区画整理や人口移動で跡形もなくなっている。
しかし、建物当時の風景は変化しようとも、人間の記憶に風化はない。事細かに話す1世からは、たとえ老いても自己の存在を説明しようとするエネルギーが感じられる。自己の尊厳や生き様を力強く保持する証であろうか。
青森では、済州道出身者が集まって作った、今はなき青森駅前の国際マーケットの話を聞き取った。戦中てんぐさ漁で地元漁協に貢献したことから、特例をもって漁業を行っている同胞。山形市で初めて喫茶店を開いた同胞、宇都宮空襲のあと、雨漏りを防ぐためにトタン屋根にコールタールを塗って歩いた同胞の存在もあった。
商売で成功して裕福になった同胞もいれば、生活保護を受けて、家族もいず孤独な日々を過ごす同胞もいる。そこには様々な同胞模様が浮き上がってくる。
今回は同時代を生きた人間として日本人からも聞き取りをした。東北地方に多い韓国籍日本人妻である。結婚当時は民族意識、生活習慣がことなり、大変な毎日だったという。しかし、生き方に芯があった1世の朝鮮人に、家族に勘当をされてもついていこうと信じた。
国際結婚をしたその子や孫は、今では殆ど多くが日本国籍で、個人的な話はできるが、当時の全体の社会の動きなどについては知識が希薄だ。同席する家族は「ここに来る前は、そんなところにいたの。そんな話、初めて聞いた」と口をそろえて言う。
この運動では、同じ出自を持つ、朝鮮籍はもちろん、日本国籍同胞青年の参加を期待している。
1世である祖父や祖母の、このような話に共感できる青年は、実は多くいるのではないだろうか。だが、大都市以外では、多くの青年が就学・就職で都市に出て、その地にはいない。一度都心に出て、Uターンをした同胞が少しばかり存在するだけで、そこは、国際結婚・帰化が急激に進行する現場だ。
求心軸である同胞団体と生活に関する接点を見いだせないと2人の子どもを持った30代の青年が語った。国籍・名前は符号であり、自己の出自も正確には聞かされていない、と。このような状況の中で、過去、短期間で多くの同胞によって形成された同胞社会のコミュニティは、果たして次世代に継続されるのであろうか。
逆に、コミュニティを形成しなくとも生きていける術を会得したのだろうか。
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1世の残した財産を糧に
同胞社会の再生につなげよう
歴史を伝える運動は、地域の同胞史をつくる目的がある。しかし、永続的にその地に居住する同胞は予想以上に少なく、戦後の混乱期に仲間を頼り、生活の糧を求めて集まってきた群像が、聞き取りとともにあぶり出されてきた。現在の同胞社会の礎はこのころできたと言っても過言ではないであろう。人が人を頼り、また人が人を受け入れ、共に助け合いながら社会を形成していったのである。
というよりも、日本の行政サービスからはじき出され、社会の周辺においやられたため、集団を形成しなければ生きていけなかった姿が見える。その集落には、楽しいこと、辛いこと、疑問と思える事などを共感する人としての醍醐味が日々存在していた。
現在、同胞社会の転換期を象徴するかのごとく、金融機関の再生運動が開始されている。
コミュニティを形成・連携する上で、大動脈であった金融機関の再生が叫ばれている。また、日本に居住するにおいて社会面・生活面での保障が未だ不十分である在日同胞の生活の根幹をなす経済基盤の確立は何よりも必要である。
しかし、先述したように銀行は設立したが、それを必要とする在日同胞が存在するのであろうか。
確かにコミュニティと連携している同胞は必要であろう。現在のコミュニティから見て増員が見込めるのかどうかは疑問を呈さざるを得ない。
結論として、同胞のコミュニティの再生が計画されなければならないであろう。今、運動では、共有する「出自」をテーマに同胞青年のネットワークを拡大していこうとしている。そして、社会に飛躍する同胞、エネルギーをもった同胞を発掘し、同胞の生活に有益に連関し、密着した金融機関を基盤に次世代の同胞社会コミュニティの発展を図りたい。
キャラバン隊はこれから、西日本を中心として巡回する。各地を訪問するするたびに痛感することがある。それは、どこの地方にも民団があり、建物と名簿、専従者が存在することだ。これは、これまでの築き上げてきた同胞コミュニティの財産ともいえよう。他の外国人コミュニティはこのような全国組織は保有していないと記憶する。これからも造ることは不可能とも思える。この状況を見たとき、社会の底辺に追いやられながらも、1世たちが民団を作ってきた苦労が報われた思いである。
この時代と同胞が作った財産をより、有効に活用する方法を、私たち3世世代は早急に答えを出さなければならない。
(2001.07.25 民団新聞)
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