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「南北平和協定」こそ筋道



 去る7月27日は韓国戦争(朝鮮戦争。50年6月〜53年7月)休戦協定締結48周年でありました。昨年の「6・15南北共同宣言」を踏まえて、韓半島の軍事的緊張緩和と平和制度化に向けての建設的提案が、南北のいずれからもなされませんでした。非常に残念です。


■「6・15共同宣言」の補完へ

 とくに、北韓の外交部スポークスマンは7月24日、「南北共同宣言」をはじめこれまでの南北間合意である南北当事者解決原則に反して、「韓半島を平和状態に転換させるためには(南北間ではなく)朝鮮(北韓)と米国との間で休戦協定に変わる平和協定を結ばなければならない」との主張を繰り返しています。

 韓半島の平和構築と和解・交流・協力の本格推進のためには、半世紀近くも休戦状態にあり軍事的対峙の続く南北間(韓国軍69万人、北韓軍117万人)で、なによりもまず軍事的な緊張緩和と信頼醸成措置が講じられなければなりません。「南北共同宣言」には、この問題に関する言及が抜けていました。

 その欠落を補完するために、昨年9月に南北国防長官会談が初めて開かれました。そこでは「軍事的な緊張を緩和し、韓半島に恒久的で強固な平和を実現し、戦争の脅威を除去することが緊要な問題だということで理解を同じくし、共同して努力していく」ことが確認されました。しかし、同年11月予定の第2回国防長官会談は北韓側の事情で延期され、今日に至っています。


■「92年基本合意書」でも明示

 北韓は、米国との平和協定締結を主張する「理由」として、「韓国は休戦協定の当事者でない」かのように喧伝しています。だが、これは休戦協定の法理をも無視したものです。北韓自身、70年代半ば頃までは南北間平和協定締結を主張していたことを想起すべきです。そもそも、北韓が「朝米平和協定」を言い出すようになったのは、韓国の「先南北不可侵協定・後米軍撤収」提案(74年1月)の直後からです。

 しかも、その後、90年9月からの南北高位級(総理)会談の結果、双方が署名し、92年2月に発効した「南北基本合意書」(南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書)は、「南と北は現休戦状態を南北間の強固な平和状態に転換させるために共同で努力する」(第5条)と明記。さらに、「不可侵の履行と保障」のために南北軍事共同委員会の設置・運営(第12条)まで規定しています。

 「南北基本合意書」は、休戦協定に替わる平和協定締結を含む韓半島の緊張緩和と平和の制度化を、南北の両当事者が主体となり具体的に推進することを、内外の7千万同胞と世界に約束したものです。北韓の「朝米平和協定主張」は、この約束にも反します。北韓は、南北間平和協定締結にむけ、国防長官会談をはじめ南北当局間対話の再開に速やかに応じるべきです。

(2001.08.01 民団新聞)



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