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埼玉の民団同胞念願の新会館 |
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「共生」へ地域社会にも開放
多民族交流の場として活用期待される
埼玉の民団同胞念願の新会館が、さいたま市常盤の旧会館跡地(さいたま市常盤4の16の7)に完成し、7月3日には韓日の来賓をはじめ団員ら200余人が参加して竣工式が開かれた。
国権を奪われ厳しい植民地支配の下で、やむを得ず生活のために渡日した1世たちが、偏見と差別、蔑視に屈することなく、自分たちの権益は力を合わせて自ら守らなくてはならない、との固い決意をもって、汗と真心の結晶である旧埼玉韓国会館を建設したのは65年のこと。
老朽化が進み、この間、何度か新会館建設が計画された。最初に建設が計画されてから17年にしての新会館完成である。同胞の新たな拠点・オアシスとなると同時に、地域社会にも開放され、「共生」と韓日友好交流増進の場としての活用が期待されている。
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完成への歩み
■84年から計画
当時の団長・李在昊
建設委員長・金寅泰(故)
84年2月9日 本部、支部3機関役員、参加団体長会議で初めて本会議に上程され、委員会を構成することにした。
その後、同年6月に埼玉商銀本店で建設委員会発足式もつ▽9月21日 新築建設推進報告▽12月15日 推進状況報告。
85年2月15日 推進状況結果報告とあわせて本部をはじめ各支部の民族財産に対して、その名義を轄髀、にすることを同会議で決議。
◎当時の地方本部の名義者
「云道(故)、金寅泰(故)、盧 楊、呂容得(故)、黄景守(原田永基)(故)、姜錫柱氏の名義でなっていた。
また名義変更と並行しながら会館建設を推進したが、業者選定の過程で問題が生じて中断された。
■2次建設計画
89年 第32回定期地方大会で金三植執行部が構成され、新会館建設が決議された。
同年6月16日の本部三機関役員、支部団長、傘下団体長会議で建設委員会が構成された。
当時の建設委員長・金三植(本部団長兼任)
当時は日本のバブル経済のために新会館建設に関する諸般与件や条件は最上であった。
しかし、現在の位置での建設案と現在の不動産を処分して広い場所に移転しようとの意見が対立、結論を出すことができなかった。多方面にわたり新たな立地を物色したが、同胞全体の偉容を誇りうる場所を準備できず、それ以上進展しなかった。
■3次建設計画
95年 第35回定期地方大会で白台欽執行部が発足、再び新会館建設問題が論議された。
同年7月19日 委員会体制構成について協議。 同年12月10日 委員会体制構成案を提示。
97年 埼玉商銀信用組合の疑惑が浮上し、会館建設の適切な時機ではないとの判断で意見が一致、やむを得ず一旦延期することになった。
99年3月18日 地方本部執行委員会で建設を再確認。
同年10月中旬から11月末にわたり経済人諸位を訪問して新会館建設に対する意義説明とあわせて財政確保に関する意見を収れんした。
同年12月10日 本部役員、支団長、傘下団体長会議で以前に決議された委員会の構成体制を維持することを確認。
00年1月28日 本部役員、顧問会議で新会館建設を確認。
同年6月13日 本部役員、支団長、傘下団体長会議で新会館建設を再確認。馬秉楽氏を建設委員長に選出。
同年10月13日 建設委員会会議開催して常任委員会構成、新会館の規模および設計、業者選定、基金確立など今後の具体的問題をすべて一任(同年11月28日の組織全体会議で報告)。
■建設具体化
01年1月22日 業者選定。1月31日に業者と請負契約成立
同年2月6日 地鎮祭 同年4月6日 建設委員会会議。この間の推進経過説明
同年6月11日 会館引受。6月21日に新会館へ引っ越す
同年7月3日 会館竣工式
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新会館の概要
◎鉄骨造り地上3階・塔屋1階
■敷地面積:286.50u(86.67坪)
■延床面積:692.89u(209.6坪)
■1階:エントランスポーチとホール、倉庫、駐車場(最大13台)
■2階:本部事務室(図書関係室)、団長・3機関役員室、中央支部事務室、青年会事務室、福祉関係施設(畳部屋8畳)
■3階:商工会議所事務室、婦人会事務所、会議室兼ホール(100.85u)、会議室
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馬秉楽団長 竣工式あいさつ
団員が総力結集し完成
韓日相互理解へさらに尽力
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馬秉楽団長 |
埼玉県内に在住する民団同胞皆様の長年の宿願でありました民団埼玉県本部新会館建設竣工式にあたり、ご参席くださいました崔元善・駐日韓国大使館総領事、民団同胞の総本山である中央本部の金宰淑団長はじめとする民団関東地方本部団長、並びに幹部、同胞の皆様!
そして、県政に大変ご多忙にもかかわらずご参席いただきました鈴木宮夫埼玉県副知事をはじめとする国会議員、県・市議会議員並びにご来賓の皆様!
私は、県内に在住する全同胞を代表しまして本日皆様のご出席に心から敬意を表するとともに、厚くお礼を申し上げます。
過去、韓日間の歴史を振り返ってみると、複雑な歴史の過程によって余儀なく定住せざるを得なかったわれわれの1世は、戦後日本の逆境の中でわが民族のオアシスを、この場所に作り上げました。
それから36年後、21世紀スタートのこの年に、すばらしい新会館を築き上げることができました。これも1世のアボジ、オモニ達をはじめとする全民団同胞皆様の汗の結晶であります。新しいオアシスの竣工を迎え、本当に感無量であります。
長引く日本の景気沈滞と不況の中で、私たちの総意で力を結集して完成させましたその底力は、わが民団史に永遠に残るでしょう。
この会館が新しくできたことによって、この前の道を通って行かれる同胞の皆様は、かならずや満足されるでしょう。そして韓国人としての自覚が一層強まることでしょう。地域住民の皆様は、私たちの努力を評価し、同胞皆様に対しての尊敬心とともに、指導団体である民団に大いなるエールを送ってくださるでしょう。
親愛なる同胞団員の皆様! また、私たちを理解してくださる日本の友人の皆様!
来年は2002年ワールドカップサッカー大会が韓日共同開催されます。W杯のアジア開催は初めてで、韓日両国が力を合わせて誘致し開催することも初のことです。どんな苦しいことがあっても英知を発揮して成功させなければなりません。特に、開催地の一つになりました埼玉県において、私たちはその成功を祈ってやみませんし、大きな声援と協力をしなければなりません。
来年は韓日両国の国民交流の年でもあります。最近の統計によりますと両国を往来する国民は、すでに400万人を突破して国民レベルの交流も日増しに高まっております。皆様もご承知のように韓日の航空事情は常時満席状態で、座席を確保するのには、それこそ空の星を取るぐらいに難しくなっています。
このような往来が、両国民の理解と信頼をさらに深め、世界平和に貢献するものにしなければなりません。この地域においても、本日竣工を迎えましたこの会館において、さまざまな交流が行われると同時に多民族間の友好交流にも活用されることを、期待しています。
親愛なる日本の友人の皆様!
私たち在日韓国人が、どのような経緯をもって、この日本に永住しなければならなかったのか、この歴史についてご理解いただき、温かい気持ちで隣人として共生できるようにご協力のほど、お願い致します。
また、同胞の皆様!
私たちは、限りない日本の発展と繁栄のために各々が持っている力と精神を、日本の皆様と共有して日本の国と郷土のために、力一杯努力してくださることを切にお願い申し上げます。
最後に、この会館の建設の着工より完工までに昼夜ご尽力くださった白台欽前団長をはじめとする顧問並びに建設委員、傘下団体の皆様に厚くお礼を申し上げます。
また、このような立派な会館を造ってくださった柏木建設株式会社代表取締役社長・柏木清英様並びに工事関係の皆様、優れた才能と技術でもって設計してくださった株式会社マルタ設計代表社長・丸田操様をはじめと致します設計担当の皆様に、今一度お礼を申し上げますとともに前途に大いなるご発展を衷心より願ってやみません。
今日ご参席の皆々様のご健勝と多幸を心よりお祈り致します。
(2001.09.26 民団新聞)
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