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壬辰倭乱の末えい



 豊臣秀吉が朝鮮を侵略した壬辰倭乱―。韓半島で繰り広げられた激しい戦いで払った犠牲者は数限りない。現在でも各地での戦いは史料に残されている。

 10月の後半、秀吉が築いた大阪城で一つの集いが行われた。権慄将軍、李舜臣将軍といえば壬辰倭乱当時の朝鮮軍司令官。対するは宇喜多秀家、伊達正宗は秀吉軍の司令官。当時ならば「いざ白刃を交えん」となるところだが、この時は固い握手で結ばれた。

 というのは、壬辰倭乱時の武将の末裔たちが、恩しゅうを乗り越えて、子孫同士で親善を図っていこうと開かれた会だったからだ。両国の武将の子孫40余人が400年の歴史を超えて出会った瞬間だった。

 この出会いを取り持ったのは馬山市に住む趙重華さん(80)だ。99年にも同様の会を京畿道高陽市で開いた経緯がある。今年、日本で開いたことで韓日両国を一巡したことになる。また、この場に在日同胞の支援者が加わったことによって会が持つ重みは一層増した。壬辰倭乱当時、義兵闘争を繰り広げた子孫が「義兵功臣会」を作り、耳塚の供養も繰り広げてきた。会長の李龍河さんも、今回の集いに感銘を受けて、恩しゅうを解決するすばらしい集いであると趙さんに感謝状を贈った。

 この集いを開くに当たって、両国でも反対論があったという。しかし、400年という年月を経て、子孫が相まみえた事実を重く考えたい。(L)

(2001.12.12 民団新聞)



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