民団新聞 MINDAN
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韓国の絵本に目を輝かせるオリニたち

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神奈川・南武土曜学校

韓国訪問し現地のオリニと交流も

 「テストするからね」と神奈川韓国綜合教育院から派遣された朴容完講師が唐突に声をかけた。オリニからは「え!」と驚きとも抗議にも聞こえる声が上がった。

 「土曜学校」は通常の授業とは違うだけに、オリニに2時間もの間、緊張を持続させるのは難しい。朴講師はオリニの注意が散漫になったなとみるやこうして雰囲気を引き締めることが多い。

 午前10時から正午までの2時間を効率的に使いながら「どうやったら韓国を好きになってもらえるか」。朴講師はいろいろ思い悩む。考えた末、韓国の絵本を両手に抱えどっさり持ち込んだ。オリニは授業そっちのけで目を輝かした。

 「ウリマルの勉強が基本だけど、歌、踊り、民俗遊び、食べ物などいろいろ取り入れている」と朴講師は話す。

 お昼近くになるとおなかのすいたオリニのためにと付き添いの父母が交替でお茶とお菓子を出す。授業が終わっての和やかな歓談のひととき。緊張から解放されたオリニから笑顔がこぼれる瞬間だ。

 「南武土曜学校」は民団神奈川・南武支部(趙緕Q支団長)の役員多数の発案で始まった。当時、地域の公立小学校に本名で通い始めて間もなかったある在日同胞の子弟が、学校ぐるみともいえるようないじめにあっていた。本名を名乗ったことで周囲から好奇の対象となっていたようだ。

 「こんなときこそ同胞の仲間の支えが必要だ」と考えた当時の趙支団長らは神奈川韓国綜合教育院の後押しを受けて「土曜学校」を実現させた。南武韓国会館が新築移転して間もない90年代半ばのこと。民団支部主催の主催する「土曜学校」としてはまだ全国的にも珍しいころだった。

 反響は地域に徐々に広がっていった。第2、第4土曜日の学校休みを利用して地元川崎市内ばかりか隣接する横浜市内からもオリニが電車を何度も乗り継いでやってきた。こうして3年後にはオリニも25人に増え、すっかり定着した。

 学習の進めかたを見ると、担当の講師の個性が際立っている。初代の担当講師はウリマル習得に徹底して力点を置いた。

 一方、2代目の講師は遊びの要素を積極的に取り入れるなど前任者とは際立った違いを見せた。天候に恵まれたときはピクニックや社会見学などの野外学習もひんぱんに行った。オリニは大喜びだったが、付き添いの必要な父母にすれば大変な負担だったようだ。

 だが、父母の交流が深まるにつれて「わが子の民族教育をどうするか」という共通の問題で連帯感を深め、土曜学校に積極的な関心を示すという相乗効果を生んだ。

 オリニの世話、「土曜学校」終了後の掃除も父母が話し合い、自主的に分担するようになったのはこのころからのことだった。

 「土曜学校」に通うオリニにとっての楽しみは夏休みを利用しての韓国訪問。訪韓先では韓国国内の小学校を訪問してオリニ間の交流を続けている。同支部にとっては財政難のなか大きな負担となっているが、オリニの楽しみになっているためこれからも継続していく考えだ。

 徐泰源事務部長は「土曜学校に通って韓国語が上手になることまでは望まない。周囲から『日本人になったらどう』と聞かれた子どもが『韓国人がいい』と答えてくれるようになっただけでもやってよかったと思う。同胞の友だちと会って絆を深めておくこともこれから必ず役に立つはず」と期待している。

 この間、「南武土曜学校」で学んだオリニが地域の区民祭に参加して住民の喝采を浴び、神奈川韓国綜合教育院の主催するウリマル弁論大会に参加するなどの活躍が目立つ。

 昨年9月からは神奈川韓国綜合教育院でも土曜学校が始まった。このため横浜市内在住のオリニは神奈川総合教育院に通うようになり、南武土曜学校に通ってくる生徒数は一時期に比べれば相対的に減った。

 しかし、同支部では「1人でも2人でも生徒がいる限り土曜学校を残していきたい」と意欲を燃やしている。

(2002.01.01 民団新聞)



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