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在日へのメッセージ
「骨董とがらくた」

前田 憲二 (映画監督)



 若き時代から66歳になるいままで、ロケにでかけるたび、隙を見付けては古道具屋や骨董店によく飛び込んだ。

 若き頃はテレビ番組で「日本のまつり」をテーマに数多くの作品を手掛けたため、棲家は旅の空なのだが、そんな場にも骨董屋があった。

 京に「高麗博物館」を開いた、故・鄭詔文先生に初めて会ったのは1987年「神々の履歴書」ロケのときだった。

 その折り、氏は白磁大壺を私に触れさせ「1947年、大阪の骨董屋でこれと眼が会い、以来、これに何度も呼びだされ、ついに大枚を叩いて買い求め、結果的に骨董の世界にはまり込んで我が国の文化を守ろうとしたんですかね…」と語ってくれた。

 そんな頃、随筆家の岡部伊都子先生は、鄭さんの家に行くと、いの一番にその白磁大壺に頬擦りしていたらしい。

 1週間ばかり前、ひょんなことから京の岡部先生宅を訪問したが、床の間には立派な青磁の壺がひっそりとはにかむように飾られていた。先生は尾頭付きの鯛と泡盛で韓国文化勲章おめでとう、と祝福してくれた。

 いま私はこの原稿を自宅で書いているのだが、周りに眼をやると、20代では北海道や長野で求めた仮面、30代では沖縄や九州での酒器、40代、50では韓国の白磁・青磁の茶碗など、各地での撮影現場が一気に蘇ってくる。そんな中にはがらくたも多いのだが、ひとつひとつには想い出がどっさり詰め込まれている。

 近年、韓国の田舎で買った茶碗は「茶の湯」で利用され、茶人たちは、ほおっとため息を洩らすが、それは8千ウォンの宝物なのだ。

(2002.02.27 民団新聞)



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