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在日へのメッセージ

萩原 遼(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会共同代表)



帰国者が日本に帰る日

 朝鮮総連の責任を問う金幸一さんの第5回帰国者裁判が3月1日、東京地裁で開かれました。韓国から呉寿龍さん(69歳)が傍聴に駆けつけました。呉さんは1962年に単身帰国し夢破れて奥さんと息子さん、2人の孫と1994年に命がけで北朝鮮を脱出して、いま韓国に住んでいる方です。以前に日本にも講演でこられ、ご存知の方も多いでしょう。

 呉さんの韓国亡命時は金泳三大統領時代で、北朝鮮にはっきりものを言う時代でしたが、金大中大統領になって太陽政策により北を誹謗してはいけないと、なにも言えなくなったそうです。

 講演料が生活の支えだったのにそれもなくなり、いまは韓国政府の生活保護で食べていると言います。

 北朝鮮と朝鮮総連に人生を狂わされ、死線を超えてたどり着いた南の祖国も安住の地ではないと聞いて、なにか痛ましい思いにとらわれました。

 「しかし私には夢がある」と呉さんは言います。

 「それは日本で住むことです。日本で生まれ29歳まで育った私の故郷は日本です。日本も経済不況で苦しいことは知っていますが、せめて余生は生まれ故郷で送りたい」

 そのための法的手続きを日韓両政府に提起したいと呉さんは言います。

 だまされて地獄の苦しみをなめた帰国者が日本に帰ってくるのは当然のことです。

 もし北朝鮮に行かなかったらこの日本で普通の人生を送れていたはずですから。

 私も北と総連の言い分を信じて友人や同志を地獄に送った日本人の一人としてこれを実現させなくては私の責任は果たせないと、呉さんの言葉を重く受け止めました。

(2002.03.13 民団新聞)



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