| 金光敏さん |
■今月から実施
今年4月から本格実施される新「学習指導要領」の公表以降、教育改革の議論が本格化してきた。
新「学習指導要領」の目玉は「総合的な学習の時間(以下、総合学習)」の導入であろう。「総合学習」とは、教科の領域を越え、総合的にかつ横断的に取り組む新しい教育課程。小学校3年生以上、高校3年生までの年間約100時間程度(学年によってちがう)がそれに当てられる。
また、総合学習には福祉、環境、国際理解などのいくつかの例示はあるものの、これ以上の規定はない。むしろ学校や地域の実態に応じて、学年や学級が独自に取り組めるとしている。
文部科学省が年間約100時間にも及ぶ時間を学校や学年、そして子どもたちに預け≠謔、としていることでまずは注目に値する。
■学校に裁量権
学習内容の3割減への是非はあるにしても、年間100時間にも及ぶ授業時間を、簡単な例示以外これといった規定をせず、「生きる力を育む」との新しい学力観を提示し、「子どもの関心」を刺激しながら取り組むとしたことは、文部科学省が事細かに学習目標と内容を縛り、津々浦々どこに行っても同じであることを学校現場に求めてきたこれまでのあり方を一定変更しようとしていることで、評価すべきではないか。
いま学校現場は、「総合学習」の本格実施を迎えて、準備に忙しい。すでに試験的に「総合学習」に取り組み、子どもたちに新しい「学び」を提示したいと奮闘している学校もある。その一方、学習目標や目的が定まらず、学年や学級でこの授業時間を活用することなく、補充授業に使ったり、下校時間を早めるのに使う学校も出てくるのではないかと言われ、数年すれば「なくなる」と予想する見方さえある。
「総合学習」は、学校や地域の実態から子どもの関心を引き出し、自らが考える学習づくりを目指す学習である。いわば、「自由に学べ」「学びたいことを学べ」であり、教科書では拾いきれない、「もうひとつのカリキュラム」をもって学習に取り組むことができる。
■同胞が主人公に
学校や子どもの「荒れ」や「無気力」に社会的関心が集りながら、「無表情」な学校がまずは変わるべきだとの批判が学校関係者に浴びせられてきた。この空虚で無味無臭の学校のイメージが、地域の子どもたちが集って生活しているコミュニティーセンターとして生まれ変わり、子どもたち自らが学びの主体であり生活者である実感をもって、関わっていける社会空間としての学校がいま一番求められているのではないだろうか。
同胞の子どもたちが主人公になれる学校づくりに向けてそれぞれの地域で運動を起こすヒントになればとの思いからこの連載をスタートさせる。(寄稿)
(2002.04.03 民団新聞)
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