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アルゼンチン大会・最終予選で韓国は中東勢に思わぬ苦戦で3位に終わった
(写真は1977年7月3日、プサンで行われたイランとの試合) |
▼アルゼンチン大会(第11回・1978年)
内紛表面化で 中東勢に敗退
1978年のワールドカップ予選。韓国は趙光来、車範根、李栄武、許丁茂の攻撃ラインはアジア最強と呼ばれ、第一次予選で日本とイスラエルを軽く破り最終予選に進んだ。
最終ラウンドに残ったのは韓国のほか、クウェート、香港、豪州、イランの5カ国。最初の相手は格下の香港。楽勝と思ったが以外にも苦戦、ホームでありながら1-0の辛勝。
「何かがおかしい」。韓国代表チームはこの試合から揺れ始めた。チームの内紛もあって、この試合を後に韓国は勝ち星をあげることができなかった。
イラン、クウェート、オーストラリアにそろってドロー。最後のオーストラリア戦では1-2で敗戦した。韓国は1勝1敗5分で3位。
豊富なオイルダラーを背景に代表チームを徹底的に強化したイランとクウェートが急成長し、強豪オーストラリアと韓国を押さえ出場権を獲得した。
▼スペイン大会(第12回・1982年)
審判の加担で ノーゴール
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スペイン大会では「打倒中東」を目標としていたが、審判の加勢などで壁を突破することはできなかった(写真は韓国代表とクウェート代表) |
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82年スペイン大会予選で韓国の目標は、オーストラリアより中東勢の打倒においた。経済的に急成長したクウェートとイランは決して組みやすいチームではなかった。しかし、韓国にも大きな変化があった。アジア最高のストライカー車範根がドイツ・ブンデスリーガへ渡り、抜けた穴に崔淳鎬が入った。
韓国と同組にクウェート、イラン、マレーシアが入ったが、クウェートは主審を買収したといううわさが流れた。
クウェートは2度に渡る試合を1度で勝敗を決めようと提案、韓国チームもそれを了承した。しかし、グラウンドに入った瞬間から異常な雰囲気が感じられた。コロンビア人のキルベルト主審は韓国選手がタックルするたびに、即ファールを取った。
前半は0-0、後半はクウェートのカウンターからのミドルシュートでまず1点を許した。その後、主審は本格的にクウェートに加担し始めた。後半29分には李康助のセンタリングを李太Yが頭で合わせゴールを決めた。しかし、主審はノーゴールを宣言。
李太Yがヘディングした瞬間、相手GKを押したというのが理由だ。しかし、TVでは李太Yがヘディングした瞬間は、相手GKが李選手の5〜6メートルも離れたところにいる場面を何度も放送し続けた。結局、抗議した李選手は退場させられ、その後、追加点を許し0-2で敗れ1次予選で脱落した。
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