民団新聞 MINDAN
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在日へのメッセージ

前田憲二(映画監督)



「在日の大親分」に感謝

 1988年「神々の履歴書」が完成以後、映像ハヌルや私の家に、ちょこまか怪電話が入る。

 そんな電話が「百万人の身世打鈴」完成後、またまた頻繁にかかるようになる。この2月の深夜2時、ハヌルの留守電に、凄味ある吼えるような声が2、3分間入っていた。無言電話は度々かかるのだが、いつも映画が完成するごとに、怪電話の回数が一気に増える。

 1988年6月、銀座ヤマハホールで「神々…」を3日間ばかり封切った。初日夕刻は、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りで、観客が劇場に足を運ぶという状況じゃなかった。そんな折り、白いベンツ2台が劇場前に停車し、厳めしい男衆が雨に打たれビルに入った。

 4階、劇場ロビーの窓から階下を眺めていたカメラマンの金徳哲氏は「カントク!右翼!!隠れろ」と叫ぶ。内心ひやりとしたが、微動だにしなかった。やがて劇場には立ち見席ができるほど満員になり感動した。

 上映が始まると、内容に辟易したのか、子分らはコーヒーは、ビールはと、激しく出入りする。長編映画が終了後、親分は身じろぎもせず、空白になったスクリーンを凝視していた。そして一番最後に、ロビーへと出てきたのだが、親分の眼は真っ赤に充血していた。

 助監督の姜貞錫君は、カントク!氏は日本で5本の指に入る大親分だ!!と教えてくれた。しかもその親分は「在日」だという。

 以来、いろいろ作品を製作してきたが、友人の李義則プロデューサーに言わせると、私が今日まで生きてこられたのは、親分の睨みが効いているからだと語る。そうかもしれないと、納得。

(2002.04.24 民団新聞)



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