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犠牲同胞の墓標、日本人親子2代で供養



宋景順さんの墓

本国移葬へ親族探し開始
解放直前に爆死した同胞の墓標守り続けて50余年
東大阪市の松村さん夫妻

 【大阪】解放直前の1945年8月14日、大阪砲兵工廠で作業中に米軍の爆撃にあって死亡した韓国人、宋景順さん(当時17歳)が眠る墓標を、解放後から親子2代、50余年にわたって守り続けている日本人夫妻がいる。

 この夫妻は東大阪市に住む松村望(68)・三千代さん(61)夫妻。望さんは父親にあたる楢雄さんの遺志を継ぎ、三千代さんとともに月に2度は景順さんの墓標に線香を手向けてきた。

 楢雄さんの存命中、松村家は宋さん一家と懇意にしていた。それだけに解放とともに景順さんの両親が墓標を残して帰国したとき、楢雄さん夫妻は景順さんのことが不憫に思えてならなかったという。自然と命日や彼岸に限らず、墓標を訪れるようになり、そっと手を合わせてきた。楢雄さん亡き後は、次男に当たる望さん夫妻が墓標を守っている。

 楢雄さんの妻、松村末子さん(95)は景順さんの両親について「物資のない時代、子どもたちに分け隔てなくサツマイモを分け与えてくれた。帰国されたが、爆死した三郎さん(景順さんの通称)が日本に残されたままになり、放っておくことができなかった」と話している。

 望さん夫妻は、景順さんの魂を韓国に返してあげたいと考えるようになり、民団大阪府本部を通して韓国に帰国した景順さんの弟と妹の消息を探している。消息が分かれば、景順さんの墓標を東大阪市と一緒になって守ってきたことも伝えたいという。

 弟は帰国当時12歳で通称四郎、同じく妹は10歳で、ミヨコと呼ばれていた。

 問い合わせは民団大阪本部組織部。電話は06(6371)7331、FAX06(6374)1849。

(2002.05.01 民団新聞)



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