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「総合学習」どう生かす<5>

「行政側の実効措置必要」民促協・金光敏



 「総合学習」を生かすかどうかは、学校や教員がどれだけ準備に時間をかけるのかという問題と比例する。教員同士が十分に討議し、準備時間をかけるとともに、教員自らが、子どもたちと何に取り組みたいのかというともに学ぶ℃挙_を持って進めてほしいと考える。

 ただ、この視点を教職員に求めるためには、教育行政の責任は重い。なによりも、学級定員40人を想定している現状は早急に是正が必要だ。日本教職員組合(日教組)は30人学級を提言しているが、私もそれに賛同する。

 社会の多様化に伴って子どもの背景も多様化し、産業構造の変化による就労形態の多角化や離婚率の上昇によって家庭の教育力も低下しているといわれている。また、新興住宅地への転居やマンション暮らし、核家族化によって地域社会が子どもたちの教育について考える力も弱くなっているとされる。

 このように子どもたちを取り巻く状況は著しく変化してきたが、学校はそれにあわせて変わってきたのか。実に多様な生活実態や背景を持つ子どもたちが40人を単位として1学級に詰め込まれることの妥当性が本当に検証されるべきである。

 少子化が進み学校の規模は小さくなり、配置される教員の数は着実に減ってきたが、クラスや学校全体で取り組む業務自体は、規模縮小にあまり影響を受けていない。むしろ、教員が少なくなってきた分、一人ひとりの教員に課せられる負担は増えている。そのような状況で100時間にも及ぶ「総合学習」に取り組めるのだろうか。「総合学習」は「何年後かにはなくなる」とする冷ややかな見方があるのは、実はこうした問題を含んでいるからである。

 こうした状況が同胞の子どもたちの教育に無関心でいられる学校文化をつくり出してきたのではないか。

 しかし、私の知る限りにおいて文部科学省にそういった問題意識が見えない。学習指導要領を見ても、いまだ「人権教育」に関する言及がない。「総合学習」に関する記述を見ても取り組みの例示に「人権学習」が入っていない。

 ちがいを認めあえる社会的寛容の構築と、文化的、民族的葛藤の未然防止のために人権教育の役割が重要視されてから久しい国際社会で、いまだ日本の学校教育行政の言及に「人権教育」がないこと、そして欧米の国々に比べ学級定員が多いことなど、日本社会は「人権」に無頓着で、教育に「お金」をかけない国であるとの批判は免れないのではないか。

 「総合学習」に取り組むには準備が必要。教員が地域を回ったり、地域の方々との事前協議などは、片手間でできることではない。特に「総合学習」を通じて人権問題に取り組むためには、教員自らが学び、考える時間が必要だ。でなければ、「総合学習」がゲストに適当に来てもらって、適当に終わってしまう。それではいい「いきぬき」の時間になってしまう。

 「総合学習」はいま諸刃の剣≠ナあることを念頭に置く必要があるだろう。

(終わり)

(2002.05.15 民団新聞)



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