民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
北韓の「朝米」平和協定論



73年までは「南北間」主張
当事者自主解決≠ゥら後退

 「6・29西海交戦」について韓国は、北方限界線(NLL)を侵犯した北韓側の奇襲先制攻撃によるものだとして謝罪責任者の処罰再発防止を要求している。あわせて再発防止に向けた南北軍事当局者会談の早急な実現を求めている。

 これに対し北韓は、事件を韓米の「計画的な奇襲攻撃・挑発行為」によるものと非難してきたが、南北長官(閣僚)級会談の再開を呼びかけた7月25日の電話通知文では「西海上で偶発的に発生した武力衝突事件について遺憾に思い、今後このような事件が再発しないよう、北南双方は共同の努力を傾けるべきだ」と表明した。

 だが、北韓の対南機関である祖国平和統一委員会は、8月1日発表の「白書」で、「米国と南朝鮮は本質を完全に歪曲している」と非難、「西海に海上境界線を確定しようとするなら、我々と米国が討論して合意しなければならない。北方境界線は無条件撤廃しなければならぬ」と従来の主張を繰り返した。さらに6日の板門店将官級会談でも北韓は、「謝罪」などを拒否し、NLLを無効として新たな境界線設定に向けた米側との協議を求める意向を示した。

 北韓のこのような姿勢は、NLL問題について肝心の当事者である韓国を事実上排除しようとするもので、「共同解決」にはほど遠い。

 休戦協定関連軍事問題での「韓国排除」の「根拠」として、北韓は「韓国=休戦協定当事者ではない」かのように宣伝している。日本の新聞も「北朝鮮は朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変える問題でも、韓国が協定署名者ではないとして米国との協議を一貫して主張している」(8月3日付け「朝日新聞」)とそのまま報道している。

 休戦協定は、国連軍司令官を一方の当事者とし、北韓人民軍司令官および中国人民志願軍司令官をそれぞれ他方の当事者としている。これは、国連軍側(韓国、米国を含む参戦17か国)は国連軍総司令官のもとに統一的司令部があったのに対して、北韓軍と中国軍側は連合司令部を構成(中国側が指揮)しながらもその存在を隠していたことによる。

 国連軍司令部の傘下にあった韓国は、法理的に米国など他の参戦国と共に休戦協定締結当事者である。それ故に北韓も、74年4月に初めて対米平和協定提案を行うまでは、「一貫して」南北間平和協定を主張していた。たとえば72年1月、金日成主席(当時首相)は日本の読売新聞記者との会見で「朝鮮での緊張を緩和するためには、なによりも朝鮮停戦協定を南北間の平和協定に替える必要がある。その後に駐韓米軍を撤収させればよい」と明言している。

 「7・4南北共同声明」発表の翌年、73年6月に金日成主席が発表した「祖国統一5大綱領」でも南北間の平和協定締結を提唱。さらに73年11月に平壌を訪問した日本新聞協会代表団と会見した鄭準基副首相(当時)も「(我々は)南北の平和協定はいまでも結ぼうといっている。米軍が撤退した後とか前とかいっていない」と強調した。

 そもそも北韓が、「南北間平和協定」主張を「北韓・米間平和協定」へと一変させたのは、74年1月に韓国(朴正煕大統領)が「先南北相互不可侵協定締結・後米軍撤収」を表明したのがきっかけであった。対米平和協定提案は、「7・4南北共同声明」に基づく南北当事者自主解決にも背を向けるものであった。

(2002.08.15 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ