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家族は宝≠S世代と同居

東京・葛飾区在住・金永淑さん(79)



家族が揃うと会話に華が咲く。
いつも笑いの絶えない金永淑さん(中央)一家
 今月15日は敬老の日。在日韓国人社会も日本社会同様、少子化や核家族化、そして在日1世の高齢化が進んでいる。中でもさまざまな理由から日本に渡り、生活のために、家族のために身を粉にして働いてきた1世たち。金永淑さん(79)=東京都葛飾区在住=も苦労の中、子どもの成功を願う一心で頑張ってきた。現在、4世代8人で幸せに暮らすパワフルなハルモニだ。


子どもたちが心の支え
お年寄りの会参加で青春∵翠フ

 現在、永淑さんは焼肉店の2代目で長男の洪性仁さん夫婦と、3代目の孫の詳基さん夫婦、そして3歳と10カ月になる2人の曾孫と暮らしている。週末には、大学から寮生活を送る性仁さんの次男、雲基さんも店の手伝いにやって来る。

 仕事が深夜におよぶ家族にとって、一家団らんの時間は昼食の時。家族が揃うと自然に永淑さんを囲み会話が弾む。詳基さんは永淑さんと「毎日、喧嘩をしているけれど友だちみたい」だと微笑む。とにかく明るく会話の多い家族だ。

 性仁さんらは今も永淑さんに絶大の信頼を置いている。「オモニは背は小さいが、肝っ玉が大きく兄弟全員が必要としている存在」と性仁さん。

 73歳まで店にたち、現在も週末には手伝うほど。パワーあふれるハルモニというのが皆の感想だ。

◇  ◆  ◇

 済州道生まれ。夫の洪成杓さんとは19歳の時に結婚、夫の後を追って日本に来たのは28歳の時だ。最初に居を構えた東京の日暮里では仕事が得られずその後、上野に移り住んだ。パチンコの景品を買い取り、それを売ったわずかな利益で一家8人が暮らした。

 「口では言えない苦労をした」と永淑さんは多くを語ろうとはしない。

 いつも心の支えになったのは子どもたちだ。「成功させてあげたいという思いだけでやってきた」

 借金をして現在の店を開いたのは40年前。従業員を雇っても、子を背負いながら自ら先頭に立って働いた。幼少のころからオモニの背中を見てきた性仁さんは、どんなに疲れていても目の前で弱音を言えないという。

 家族の心配ごとは、永淑さんの気配りに対してだ。性仁さんの妻、康京子さんは「自分はさておき息子や孫、回りのことをいつも考えている」と話す。

 今年6月、永淑さんが階段から落ちて右太股に怪我をした。一週間床に伏したものの、家族のことを思うと寝込んでいられなかった。「もっと自分を大切にすればいいのに」と心配する雲基さんだが、気配りが精神的な支えになっていることを性仁さんは知っている。

◇  ◆  ◇

 以前、永淑さんは脳梗塞で倒れたことがあるが、それを感じ取ることができない位元気だ。今、楽しみの一つは毎週1回、お年寄りたちが集う「東京トラジ会」で友人と会い、歌や踊りをすることだ。この日が待ち遠しいという。

 ビールもたしなみ、1人でどこへでも外出する。家族から100歳まで生きろよと言われている。「もう年だけど、今が青春」だと笑顔を見せる。

 性仁さん家族は、永淑さんからいろいろなことを教わった。一つは人生を正直に生き、嘘や隠し事をするなということ。

 そしてもう一つは何事にもめげず、負けるなということだ。永淑さん自ら一環して貫いてきた姿勢だ。

 「家族は宝」だと話す。その思いは皆の共通した思いでもある。「今は嫁が食事を作ってくれ、孫も声をかけてくれる。そんな幸せなことはない」と家族へ対する感謝の念を忘れない。

 性仁さんらは今も永淑さんからパワーをもらっているという。そんな一家を永淑さんは温かな眼差しで見守っている。

(2002.09.18 民団新聞)



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