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犠牲精神を称える

仁川で参戦記念式典



仁川で開かれた6・25参戦記念式

京都市が表彰へ

在日学徒義勇軍
中央3機関長が参列

 【仁川】6・25韓国戦争当時、自ら進んで救国戦線へ志願して戦った在日同胞学徒義勇軍勇士の愛国精神を称えるとともに、犠牲となった英霊を慰める「第52周年6・25参戦記念式」が9月30日、仁川寿鳳公園にある記念碑前で執り行われた。

 国家報勲処や仁川市の支援を受けながら在日学徒義勇軍同志会(金敬仁会長)の主催で開かれた式典には、本国関係各部処や民団中央本部の金宰淑団長、姜永祐議長、洪性仁監察委員長らの来賓をはじめ勇士、遺家族など関係者200余名が参席した。

 金会長記念辞、国家報勲処長に続き、金中央団長は義勇軍の勇敢な犠牲精神を称えるととも、西海交戦勃発と釜山アジア大会開会式での南北同時入場などの韓半島情勢の近況報告を述べながら、早期の祖国統一を訴えた。また、日本に帰還した勇士で構成される日本支部の権東国会長が閉会辞を述べた。

 参戦当時青年であった勇士は、すでに70歳を超えて歩行困難な人も見受けられたが、同志や遺家族との久しぶり再会を喜ぶとともに50年代に宣言した祖国防衛の意志を確認していた。またこの日、参戦から半世紀の歳月が流れたことを踏まえ、在日学徒義勇軍の精神を後世に伝える参戦史を発刊したことが報告された。


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義勇軍とは

 1950年6月25日、北韓の奇襲南侵によって民族相殺の6・25韓国戦争が勃発すると、在日同胞青年学生の有志は同年9月、米第1騎兵師団(埼玉県朝霞駐屯)に自願兵として入隊。9月11日の第1陣を皮切りに仁川上陸作戦、元山上陸作戦など各戦闘に参戦した。参戦者は642人で135が戦死した。生存者のうち242人が韓国に残留し、265人が日本に帰還した。現在は勇士の高齢化とともに114人が生存している。

(2002.10.16 民団新聞)



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