民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
オリニの未来見つめて<5>
各地の保護者会・オリニ会の動き

平塚市「在日との共生の会」


韓国料理のチヂミに挑戦した子どもたち


「ありのままに」信念に

 在日二世の李禮子さん(50)は、「在日」としてのアイデンティティーを持って生きてほしいと願い、子どもを本名で育ててきた。「ありのままの姿で自分らしく生きる。差別をしない、させない」“心育て”を目指した。

 ところが、長男の就学時期は、日本中でいじめが吹き荒れていた。公立校よりも温かく迎えてくれるのでは、という思い込みから私立校を選んだものの、「変な名前」に始まり、仲間はずれにされるようになる。

 三年の時には、「みんなと違うって悪いこと?」と帰り着くなり、ワアーッと泣きついてきた。その時は「違うってすてきなこと」と言い聞かせたが、「来るものが来た」と覚悟した。

 その後、ミニ文化祭の時に掲示された絵を見て、強い衝撃を受ける。子どもたちの風景画の中に、わが子だけが黒く歪んだ顔の両目から涙を流す「自画像」を描いていたからだ。思いあまって美術の先生にただすと、「言うことを聞かないので、罰として張り出した」と言い放つ。教師生活を十余年経験している李さんは、子どもの内面を正直に映す絵の背景を無視し、処罰の尺度しか持ちえない教師に失望した。

 一方、相談を持ちかけた担任は「差別はあるが、難しい問題なので」とお茶を濁し、学級懇談会を求めると保護者は「うちの子はいじめていない」と言うばかりだった。次男、三男への攻撃も始まるようになり、一家は安心して住める場所を求め、神奈川県平塚市に引っ越した。

日本の先生にも好評の
チマ・チョゴリの試着

 新天地のはずだったが、長男に続いて中学校の生徒会長を務めていた次男に、教師が民族差別事件を引き起こす。友人の嫌がるあだ名を大声で呼ぶ教師に、「名前を正しく呼ばないのは人権侵害だ」と抗議したところ、「おまえに関係ない。あだ名は人権侵害ではない。親を呼んでこい」。あげくにはシッシッと手払いまでした。

 名前を大切にしてきた次男は、教師と学校への不信から激しく落ち込み、遅刻や授業を抜け出して思い詰める行動を取り始める。進路指導でパイロット志望を告げた時、校長は国籍を知りながらも自衛隊入隊をほのめかす始末。事態を重く見た李さんは問題解決を訴えたが、学校側は誠実に対応しなかった。

 九四年十二月に「在日韓国・朝鮮人との共生の会(金泰仁代表)」を結成し、教育委員会に申し入れを開始。二年余にわたる粘り強い交渉の末、平塚市教育委員会は九七年三月二十七日、「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の指針」を打ち出すとともに、「差別事件の報告書」を市内の教師全員に配布した。

 在日同胞の在校生について、プライバシーをタテに口をつぐんできた四男の小学校の校長は、指針後に同胞児童を教えてくれた。放課後にハングルや料理、チャンゴなど、民族文化に触れる月に一度の「民族クラブ」も動き始めた。

 ムジゲダリ(虹の橋)と名づけた学校との話し合いで李さんは、「対立は相互理解のきっかけ。先生方にも在日の子どもとの出会いが必要」と語る。各地で行う講演活動のほかに、韓国の昔話読み聞かせなど、民族文化の情報発信地になる湘南コリアン文化研究会も設立した。

 両会への連絡は0463(34)9921へ。

(1998.6.17 民団新聞)



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