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韓日サポーター、心をひとつに
2002共催成功への試金石

フランスW杯共同応援団


在日同胞と日本人129人がひとつになった
「韓日共同応援団」が初めて実現した
(6月25日、バルク・デ・プランスで行われた
韓国×ベルギー戦で)

深めあったパートナーシップ

 二〇〇二年ワールドカップ(W杯)共催の韓国と日本がそろってフランスW杯に出場。共催成功へ仲良く両国のサポーターで共同応援し、パートナーシップを深めよう―と、在日大韓体育会(金英宰会長)が企画した、在日同胞と日本人サポーターで構成する、「ふれあい共同応援団」百二十九人が六月二十四日にフランス入りし、二十五日の韓国対ベルギー、二十六日の日本対ジャマイカ戦で心をひとつにして声援を送った。在日韓国人と日本人による「共同応援団」は初めて。一行は試合観戦のほか、交流パーティなどを通じて二〇〇二年W杯に向けた新たな友情を深めた。


パリへの出発を前に金浦空港には
2002年W杯組織委員会の朴世直委員長が
共同応援団の激励にかけつけた

「アレアレ!KOREA/JAPAN」
両国国旗手に厚い声援

 共同応援団は在日同胞五十九人と日本人七十二人の百二十九人で構成。韓国経済危機打開への参与も考慮する航空便は韓国を経由する、大韓航空を利用したのも大きな特徴。

 出発の際、ソウルの金浦空港には、二〇〇二年W杯韓国側組織委員会の朴世直委員長らが「共同応援団」の激励に駆けつけた。

 朴委員長は「成績も大切だが、このように韓日のサポーターがひとつになった共同応援は何よりも勝る誇りだ」とし、「二十世紀から二十一世紀幕開けの役割を果たすのがみなさんたちだ」と絶賛した。

 韓国代表の赤、日本代表の青をベースに、胸に「友情」の文字を刻んだユニホームを着た参加者は、韓日のシンボルを両面にあしらったうちわや太極旗、日の丸などを準備し、「アレアレ(行け行け)、コリア!」「ニッポン!」と韓日両国に声援を送った。

(左)韓日両国旗を手に熱い声援を送るサポーターたち
(右)韓日両国旗をペイントする女性も

 とくにパルク・デ・プランス競技場で行われた韓国―ベルギー戦で、韓国応援席は韓国から駆けつけた「レッド・デビルズ」の赤いユニホームで一色。その中に「共同応援団」のサポーターたちが加わった。

 参加者は韓国サポーターから韓国流の応援方法を教わり、汗を流しながら、九十分間必死の応援を続けた。悲願の一勝を目指す韓国が、ベルギー陣内に果敢に攻撃をしかける度に歓声で会場が大きくどよめいた。後半、柳相鉄が同点ゴールを決めるとスタジアム一杯に「テハンミングッ(大韓民国)」の歓声がこだました。

 パリ市郊外に宿泊した参加者は翌日、TGVでリヨンに移動し日本―ジャマイカ戦を観戦した。

共同応援団の声援に手をふってこたえる韓国代表

 ジェルラン・スタジアムは三万五千人の日本ポーターで青一色となったが、「共同応援団」とレッドデビルスがこの中に加わり「ニッポン!」コールを続けた。

 「共同応援」は「二〇〇二年W杯共催成功のためには民間レベルでのパートナー意識の醸成が必要」と昨年末、金英宰会長が提起していた。

 今回のツアー参加者の多くがこの趣旨に賛同した人たちで、「いろいろなツアーがあったが、こういう共同応援は気持ちがいい。共催成功へのスタート台になるはず」と喜びよう。

スポーツに国境はない!
試合を終え、ベルギーサポーターとも
仲良く記念写真を撮る光景も

 小学校から大学までサッカー選手で、在日二世韓国人の鄭光日さん(43・東京都)は「韓日両国のサポーターが心をひとつにして応援できたことは、新しい歴史のはじまり。スポーツにはまさに国境がないということを痛感した」と感動を表していた。

 文京一さん(43・東京都)も「子どもの頃、近所の日本人に『チョーセン』と石を投げられた。それが今やこんなに仲良く肩を組めるなんてうれしい」と新たな歴史を喜ぶ。

 日本人の多田充さん(37・東京都)も「韓国と日本の両方を観戦できて最高のツアーだった。共催していく上でこのような民間レベルの企画をもっと増やしていくべきです」と目を輝かせていた。

(1998.7.8 民団新聞)



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