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湖北の地に「朝鮮通信使」再現

滋賀県で全国交流会



町民ら400人で朝鮮通信使を再現した行列

 【滋賀】江戸時代に十二回にわたって渡日した韓半島からの外交使節団「朝鮮通信使」の意義を現代にとらえ直し、国際感覚ある街づくりを進めようと「朝鮮通信使ゆかりの町全国交流会―高月大会」が二十三日、全国のゆかりの地二十二自治体などが集う中で滋賀県高月町で開かれた。当日は造詣が深い韓日人士らが多様な角度から通信使と雨森芳洲をとらえ、二十一世紀の真の国際交流のあり方を考えた。また、町の人たちによる通信使行列も華やかに行われた。

 同交流会は通信使を韓日友好の象徴として、通信使ゆかりの町が一堂に集まり、三年前に第一回の全国大会が対馬で行われた。今年は第四回目に当たり、対馬藩で対朝鮮交流の窓口として大きな役割を果たした雨森芳洲の生誕三百三十周年を期して生誕の地である高月町で開かれたもの。

 特別講演にたった徐賢燮駐福岡総領事は、当時の朝鮮の公文がハングルを使用していないにもかかわらず、芳洲がハングルや方言までも覚えたことを示しながら「真の韓国理解を図ろうとし、国際感覚を持った人」と高く評価した。

 また、京都大学名誉教授の上田正昭氏、青丘文化ホールの辛基秀代表、徐総領事の鼎談でも、芳洲が対朝鮮交流と通信使に果たした功績を提示しながら、「欺かず、争わず」という芳洲が残した「誠心の交わり」の言葉を二十一世紀の韓日交流、アジアとの交流につなげようと締めくくった。

 町内にある芳洲庵から中央公民館まで、町の人たち総勢四百人が雨森芳洲と朝鮮通信使に扮して大行列した。また通信使が経由した津市の分部町に三百六十年前から残る通信使をまねた「唐人踊り」保存会の一行も駆けつけ、郷土芸能を披露した。

 中央公民館では、通信使に供応した料理も再現して展示されたり、町おこしの一環として作られている高月キムチの漬け方講座も行われるなど、町挙げての一大イベントとなった。

 また当日は、全国の通信使ゆかりの町から各地の名産品の展示販売も行われた。

(1998.11.25 民団新聞)



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