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韓日共同作業で新たな絆

アジアの力、世界に示そう



<2002年W杯・韓日共催の意義>

初の共催・アジア初、21世紀初

■歩みだした二人三脚

 韓日両国や在日同胞をはじめ、世界が注目していたサッカーの二〇〇二年ワールドカップ(W杯)開催地が韓日共催に決定してから二年半が過ぎた。

 共催が決まった当初、賛否両論など多くの波紋を広げたものの、両国の関係者らが「初の共催を世界に誇れるすばらしい大会にしよう」とスクラムを組んで共同作業に取り組むことを誓い合った。

 すでに両国とも組織委員会が発足し、一歩一歩準備が進められている。

 韓日とも十都市ずつの開催都市を決めたほか、さらに九六年十一月六日にスイスで開かれた国際サッカー連盟(FIFA)の検討委員会で(1)開会式は韓国、決勝は日本で行う(2)大会名称は「2002FIFAワールドカップ・コリア・ジャパン」とする(3)九八年フランス大会と同様、出場チームは三十二、試合数は六十四とし、韓日両国に同数を割り振る(4)開幕は韓国で決勝は日本で開催―など、難題と見られていた部分が決まり、二人三脚への一歩がスタートした。


国難乗り超え希望の大会に

 韓国は一昨年末、外貨不足による経済危機によって、「六・二五動乱以来の国難」といわれるIMF支援体制に陥った。これによって会場の削減、競技場の建設中止などの噂が飛んだ。

 しかし、苦しさを乗り越えてのW杯成功こそ国民の一体感が強まり、希望となる。それはソウル五輪でも見せたように、第二の跳躍の土台となったからだ。

 民団でも共催決定に対して、「オリンピック以上とも言える世界最大のスポーツイベント、W杯サッカーを韓日で共催することは、両国の友好強化ばかりでなく、アジア地域全体の発展につながる」と歓迎の意を表した。

 何よりも、共生社会をめざす在日同胞にとっても、居住国・日本との共催は絶妙の選択だったからだ。

 在日同胞と日本市民の理解と友情がいっそう深まり、韓日間に横たわる"心の壁"を取り払う一大契機にもなるからだ。

 さらに地域住民の一員として共催成功へ可能な限り協力をしていくことを示した。民団では今年、「在日韓国人後援会」を構成し、本格的な後援事業を始める予定だ。


■フランス大会でサポーターの絆

 共催成功へのムードを高めていこうという願いは、両国政治家やサッカー関係のトップクラスよりもサポーターたちが敏感に動き始めた。

 一昨年十一月一日、ソウルの蚕室で行われたW杯フランス大会・アジア最終予選の韓日戦で両国のサポーターに大きな変化が見られた。韓国のサポーターが「ともにフランスへ行こう」との横断幕を掲げ、日本にエールを送ったのだ。

 韓国がいち早く本選行きを決めていたという余裕もあったろうが、崖っぷちだった自国代表を応援する日本のサポーターにとっては、「目からうろこが落ちた」ような驚きと感動だったという。

 「共催ということで、心の片隅にわだかまりがあったが、真のパートナーとして一緒にやっていけることを確信した」。


■サッカーで始まる友情

 この試合には一万人という日本サポーターが観戦に駆けつけたが、その多くの人がこう思ったのである。

 両国のサポーターはこれを機会に交流を深め、友情の輪を広げていった。

 そして、フランス大会で「初」の出来事がお目見えした。

 韓国と日本の試合を在日同胞と日本人のサポーターがひとつになって応援する「韓日共同応援団」だ。

 「二〇〇二年に向け、韓国と日本がライバルからパートナーに」をスローガンに在日大韓体育会が企画したもので、在日同胞と韓国のサポーターと日本人あわせて百三十人がひとつになったのだ。

 サッカーで戦争を始めた国もあるが、韓国と日本のサポーターはサッカーで友情を育んだのだ。


■真のパートナーシップめざして

 ロゴとマスコット、試合会場やビザ問題など、まだまだ今後も乗り越えなければならない問題は続くだろうし、韓日共同作業はこれからが本格的な始まりだ。

 そのためには双方とも譲り合いと共栄の精神を持ち続けることが大切であり、二〇〇二年W杯を史上最高の大会に導いていってもらいたい。

 三年後の二〇〇二年五月。在日同胞にとって、開会式は祖国韓国を訪れ、決勝は居住国の日本で観戦するとなれば、これほど得をした気分になれることはないだろう。

 二十一世紀初頭の一大スポーツイベントが「成熟された韓日共生社会」の中でで開かれることを在日同胞は心から願っている。

(1999.01.01 民団新聞)



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