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李鳳宇さん(映画プロディーサー)

記録映画作り通じ、両国次世代に残す



 李鳳宇さん(38)が育った京都には、映画の撮影所がたくさんあった。京一会館や京劇に行けば、大部屋の俳優にも会える。小学校の低学年から映画館に足を運んでいたのは、出口が見えない在日の葛藤を引きずり、現実逃避の場所が映画館だったからだという。

 特に、フランスやヨーロッパの映画は人間描写が巧みで、人物の行動を突き詰めたり、人生を考えさせるような内容に溢れていた。ところが、そういう李少年の映画三昧は、まわりには秘密にしてあった。

 「まわりは硬派が主流で、映画好きとはとても言い出せなかった」。

 アボジは十五人くらいの職人を使って洋服のプレス加工業に従事しながら、総連の教育委員会で財政の担当をしていた。その関係で李さんは朝鮮高校に通い、サッカー選手として鳴らしていた。足が速いことが注目され、日本の大学に推薦入学の話もあったが、七〇年中盤の繊維不況、オイルショックのあおりを受け、アボジの仕事が左前に。

 その結果、進学したのは朝鮮大学の外国語学部フランス語学科。学生数千三百人の校内で一学年の生徒数が十人余りの"異端児"だったという。だから、強烈な思想教育の洗礼は受けなかった。

 「字幕なしでフランス映画を観たい」と思った李さんは、八四年から八六年までパリに滞在し、多くの映画を観ながら映画の仕事に就きたいと真剣に考えていた。日本に戻り、制作を担当したかったが、当時の映画会社は新入社員をとらなかった。

 新藤兼人氏が主宰するシナリオ作家協会に入り、一年くらい脚本の書き方を勉強する中で、黒沢明の映画や「水戸黄門」を手がけた時代劇の作家を知り、徳間ジャパンの映像部門を紹介された。

 その一方で、八八年に会社を設立し、八九年にポーランド映画を皮切りに、輸入配給の仕事を始めた。これまでに七十二本の映画を配給している。

 九三年からはプロデューサーとして制作にも着手し、あの「月はどっちに出ている」を世に出した。興行的にも内容的にも評価が高かった。九四年から映画の興業を始め、現在、大阪と福岡に一つずつ、東京に三つの五館の映画館を経営している。

 幼い頃の夢をかなえた映画人の李さんにとって、二〇〇二年のワールドカップ共催とは何か。

 幻想かもしれないが、と言いつつ「政治ができなかったぎくしゃくした日韓関係をサッカーや映画、文化の力で切り崩せるのでは」と語る。サッカーは圧倒的に若い世代のスポーツだから、韓国にしても日本にしても選手もファンも特別に韓日関係に違和感を持っていないと思う。そういう姿から何かが見えてくる。

 李さんは今年二月から開催日までフィルムを回し、ドキュメンタリーを作ることを決めた。この映画づくりは自分自身も期待しているし、ピュアな気持で取り組む。

 すでに両国のサッカー協会には話を伝え、好意的に受けとめてもらった。大会以降に韓日共有の財産になると思っている。ワールドカップまであと四年。多くの人の関心をつなぐためには、日本のJリーグと韓国のKリーグが盛り上がるのが前提だ。

 「二〇〇二年がいきなり来るわけではないのだから、その日までの蓄積が必要だ」と強調する。

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●プロフィール

 一九六〇年、京都市南区東九条の出身。映画会社シネカノンの代表取締役を務める。一月十五日の「成人の日」に全国百八十館で封切られる室井ジ主演の映画「のど自慢」を、昨年九月の釜山映画祭に出品。停電というアクシデントにもかかわらず、韓国の若い世代がビビッドな反応を示したことに、同じ文化圏だと手応えを感じた。映画は世界に通じる題材。日本の大衆文化の開放で、両国の文化交流が膨らむことを大いに期待している。

(1999.01.01 民団新聞)



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