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慎武宏さん(スポーツライター)

「在日」のプライド持てる大会を願う



 慎武宏さん(27)は高校まで朝鮮学校に通い、小・中学校でサッカー、高校ではラグビーに熱中していた。在日社会しか知らずに生きていくことがイヤで、大学から日本の学校へ。和光大学ではラグビー部のキャプテンを務めた。

 スポーツとメディアに関係する仕事がしたくて、一石堂に入社。日本社会で勝負したかったと語る。韓国サッカー関連の仕事をするようになり、生きがいを感じるようになった。二〇〇二年という目標もできたし、本名で自分の国に関係する仕事をしているので、アボジや周囲の同胞も喜んでくれる。充実した毎日だ。

 とはいえ、韓国籍に変えることで悩んでいた時期もあった。朝鮮学校の出身だけに、「みんなを裏切るのではないか。今までの自分をすべて捨てて、まったく新しい自分になってしまうのではないか」と、なかなか踏み込めなかった。

 大きな転機は昨年九月二十八日の日韓戦。韓国の熱狂的なサポーター、レッドデビルスのメンバー五十五人の来日に合わせ、通訳と引率を引き受けることになった。寝食を共にしたことで、「もう一度会いたい」と気持ちが膨らみ、結婚相手が韓国籍の同胞だったこともあって踏み切った。

 「変えてよかった」。かつての同級生も「活躍できるなら絶対その道を選ぶべき」「上の世代が総連だ民団だと反目しているのに、おれたちまで朝鮮だ韓国だと言っていてはしょうがない」と激励してくれた。

 二〇〇二年の開催地誘致を韓日が競っている時は、日本でやればいいと思っていた。その時は朝鮮籍だったし、日本開催だと観戦できるからだ。ところが、韓国関連の仕事をすればするほど、韓国、コリアの響きに誇りが持てるようになり、「在日」であるということに心の底からプライドが湧いてきた。在日に生まれたことを素直にうれしく思う。極めつけは昨年十月のアジアユース大会だ。

 決勝戦の後にたまたま韓国選手の部屋に行ったら、日本の選手がいて五時間以上も交流をもった。その時に本当に自分のしたかった仕事はこれだと痛感。韓国語が話せることで韓国側にも立てるし、日本生まれでどこか日本的な部分があるから日本側にも立てる。

 「これこそ在日しかできない仕事。その現場に自分がいる」。在日は特殊な立場に立ちながら、韓日のパイプになっていけばいい。決して目立ちはしないが、日本の中で共存し、この社会で力を発揮をしてほしいと親たちも願っているはずだ。そんな雰囲気が二〇〇二年の試金石になればいい、と熱っぽく語る。

 具体的には、語学ボランティアとして共催の運営に関わっていくのも一つの方法だ。両組織委員会も日本語、韓国語のできる人を求めているし、それができるのが在日だから。

 今では韓国のナショナルチームの中にも飛び込み、積極的に取材を進めている。在日三世で言葉ができることや、自費で月に一度は韓国やタイに取材に行く熱意にびっくりされたが、許丁茂監督や選手らにも好感をもたれ、慎さんも韓国人の情の深さを感じる。

 慎さんのペンによって、韓国チームが日本のメディアに登場することは、韓国にとってもメリットだ。二〇〇二年に向けてスタートを切った慎さんの活躍を大いに期待したい。

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●プロフィル

 一九七一年、東京都台東区生まれの在日三世。現在、週刊サッカーダイジェストの韓国サッカー情報をはじめ、韓国サッカー関連の原稿を数多くの雑誌に寄稿。そのほかNBAや格闘技など、幅広いジャンルを手がけている。韓国籍を取得したのは九七年十一月で、十二月に初めて韓国の土を踏んで以来、一年間で八回の韓国取材をこなした。レッドデビルスがソウルの競技場に掲げた「在日同胞がんばれ」の横幕の仕掛人の一人でもある。

(1999.01.01 民団新聞)



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