民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
各地で活躍する民団マン

新たな発想で地域に飛び出す



 解放直後の一九四六年に結成された在日本朝鮮人居留民団。当初は帰国を前提に、帰還同胞への援助と在留する人々の意向を基にした日本の役所との様々な交渉などが事業の中心だった。しかし、在留が長引き、定住志向が顕著になるに連れて日本で居住するために必要な活動に移行していった。そして九六年には「居留」の二字を抜き、日本の地域住民の一員として生きていくために「共生」を打ち出した。この過程で民団も団員ばかりでなく、地域に広がりを持った活動が徐々に見えるようになってきた。各地で活躍する「民団マン」を紹介する。


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■松山大の韓国語教室で教べん

民団愛媛本部事務局長・陳信之さん


在日と日本市民つなぎたい

 松山大学で第二外国語の韓国語教室の教壇に立つ陳信之・民団愛姫県本部事務局長(43)は、在日三世。担当教師から一年間のピンチヒッターを頼まれて以来、すでに四年目になる非常勤講師だ。

 特に韓国に留学したことはない。ウリマルは青年会時代に一年学習しただけ。あとは独学で体得した。発音はネイティブにまかせ、もっぱら学習方法を教えることに力を入れる。自ら学んできた過程が日本人にそっくり当てはまるからだ。

 言葉を学ぶことも大切だが、社会に出てハングルに出会った時、在日や韓日関係を考えるきっかけになってくれれば、という願いを伝えたいという。

 全国で最も若い事務局長として三十四歳で就任。青年会時代から民団に入ることが当然と思ってきただけに、何の違和感もなかった。しかし、思いと現実のギャップは大きかった。まず、民団の後継者たる同世代の人が出ていなかった。

 数年の活動の後、民団が何をしているのか知られていないことに気付き広報活動を始めた。最初はハガキの裏面から始まり、今はB4サイズの裏表一杯に地域の情報を載せた「民団だより」が年に五回、団員宅に届く。以来、「民団は何をやっているのか」という声が無くなった。

 二世以降は一世と違って「何が何でも民団」という発想が少ないことは自らがよく分かる。そこから出た発想が「団費払っておトクな民団」だった。四年前にアシアナ航空が松山空港に乗り入れた際、交渉して民団割引運賃を設けた。団員および家族であれば、ソウル往復五万二千五百円が三万六千円になる。団費を払ってもお釣りが来る。民団にも利益が入り、団員サービスと財政確保の一石二鳥になった。

 今、親子学習塾計画を温めている。子弟用に進学塾を、親にはウリマル教室を同時開催したいという。

 団員、そして日本市民を巻き込んだ地域開放型の民団にしたいという。



■地域で広くサムルノリを指導

民団三重本部事務局長・韓久さん


民俗楽器で交流の輪拡大

 昨年十月、四日市ドームで開いた民団三重の十月マダンのフィナーレ、グラウンド狭しと踊るサムルノリの中に、日本の児童五十人の姿があった。二世の韓久・民団三重県本部事務局長(37)が長年サムルノリを指導してきた四日市市立塩浜小の児童たちだ。

 民団が主催したジャンボリーで初めてサムルノリに出会って「ひっくり返るほどびっくりした」体験を持つ。以来、様々な場所で習い続けてきた。青年会文化キャラバンの指導層として構成されたプロジェクトチームにも選ばれた。

 九年前に塩浜小学校で演じたことがきっかけとなって運動会で発表するサムルノリの演技指導を行うようになった。最初の年は学びたいと申し出た十五人がフィナーレを飾った。三年目からは衣装も整え、今では衣装がそろう五十人が演技し、全校生徒が周囲で群舞を添えるなど、同校運動会の名物行事になっている。

 わが子が通う県(あがた)小学校で、いろいろな国の生活などを知ろうと昨年四月から始められた「国際理解クラブ」の初回が韓国。講師として赴き、サムルノリを教えた。今年一月から再度先生役を務める。また、四日市支部会館を利用した日本人にも開かれたチャンゴ教室はすでに十年間続いている。

 活動を通じて、数多くの日本の児童や市民と接する中で、いかに韓国が知られていないかを知った。音楽に国境はない、というようにサムルノリの演奏が日本人に「かっこいい」と感じてもらえることも知った。ならば日本の将来を担う今の子どもたちにサムルノリを通じて正しい韓国理解を育んでほしい、というのが今のスタンスだ。

 民団本来の団員奉仕という仕事をスムーズかつ正確にこなすことはもちろんだが、自分たちだけの枠を取り払い、一歩外に出て日本市民と地域住民としてのネットワークを広げようとしている。



■管内の1世お年寄り対策に奔走

民団大阪福島支部支団長・金明石さん


同胞コミュニティの再生へ

 民団大阪・福島支部が同胞のお年寄りを招いて食事しながら懇談するデイサービスを初めて開いたのは昨年十一月十四日のこと。予想を上回る参加者に主催側もびっくりしたという。

 デイサービスを計画したのは金明石支団長(47)。支部活動に関わって五年、支団長歴は二年半になる。就任当初、団員宅を巡回してお年寄りの数に驚いた。百五十世帯ほどの中に七十歳以上が六十人もいた。

 行政が行うデイサービスなどもあるが、日本語が達者でない、話題があわないなどの理由で殆どの同胞は出かけない。何とか同胞お年寄りが集まれる場を、というのが願いだった。支部の大きな行事は春の花見と秋の敬老会。体が悪い人も町内会の旅行になら行くという話を聞いて、支部で開いていた敬老会をバスツアーに切り替えた。足が不自由な人のために車イスも借りた。昨年、今年とも三十人以上のお年寄りに喜んでもらった。

 財政は確かに苦しい。しかし、夏の区民まつりに婦人会などの協力を得てチヂミや焼き肉を売ってねん出した十四万円の利益を資金に回した。

 今、支部活動の重点をお年寄りとオリニに置いている。訪問活動を通じて感じたことが「同胞のつながりがブツ切れている」ことからだ。行き場のない一世たち、民族的自負を持てないオリニたち…。「地域同胞社会を再生する必要がある。民団はそれを担える可能性がある」と強く語る。

 お年寄り宅で話し相手や通院の手助けをするホームヘルプサービスができないかと計画している。



■ニューカマーの日本語教室開講

民団東京墨田支部事務部長・鄭良信さん


高まる民団活動への関心

 民団東京・墨田支部に全国でも初めてではないかと思われるユニークな教室が昨年四月から始まった。ニューカマーに日本語を教える教室だ。

 企画したのは〓良信事務部長(39)。彼自身十年前に慶応の大学院に留学で来日したニューカマーだ。

 墨田区は本国商社の寮などもあるニューカマーが多い地域。本国から来た人が一番困るのが言葉の壁。特に主婦の場合は買い物も満足にできず、字が読めなければ電車に乗って出かけるのもままならない。

 自らも体験してきただけに、一昨年十月に民団に飛び込んで半年後、支団長ら関係者と相談して日本語教室をオープンさせた。知り合いに口コミで広げてもらうと同時に、ビラを作って一軒一軒訪ねて回った。予想を上回る三十人ほどが駆けつけてきた。

 当初週に三日開いてきたが、生徒の要望から四日に増やした。また、初級から会話までクラス分けし、講師も自分を含めて三人に増やした。今では区内ばかりか、千葉県の松戸や柏、東京の武蔵野市など電車で一時間以上かけて通う人もいる。

 一般の日本語学校の授業料は月額四万円から八万円ほど。墨田の教室は営利を目的としていないため月に一万円と格安なのも人気を呼んでいる理由だ。講師料などを差し引いて残った利益は支部に還元し、財政の一助にしている。

 また教室を通じて、民団に関心が薄いニューカマーたちの意識を変えていることも見逃せない。

 民団が教育事業を展開すれば必ずメリットがあると展望している。

(1999.01.01 民団新聞)



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