民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
民族の気概、現在に継承しよう

「2・8独立宣言」から80周年
ゆかりの地で大々的な記念式典



■今日的意義探る講演会など企画

 日帝の植民地下、民族の独立を叫び、一九一九年の三・一独立運動の導火線となった二・八独立運動の八十周年を記念する式典が八日、ゆかりの地の東京・水道橋の在日韓国YMCAで開かれる。八十周年の節目に開催される式典には金義在国家報勲処長、独立運動に献身した李康勲・前光復会会長はじめ金九氏の子息、金信・白凡金九先生記念事業会理事ら独立運動関係者ら四十人が参席し、在日同胞らとともに崇高な二・八精神を継承する式典を執り行う。


■本国からも独立有功者ら多数来日

 式典は日本に留学していた同胞有志によって二・八独立宣言が読み上げられたゆかりの地、在日韓国YMCAで午後一時から、独立運動にちなんで名付けられた「二・八記念ホール」で開かれる。

 日帝支配下の日本で、留学生たちによる独立宣言が国内外の抗日運動や学生運動におよぼした大きな影響を、今日的視点からとらえなおした「二十一世紀を迎える二・八独立宣言の意義」をテーマに滋賀県立大の姜徳相教授が記念講演する。また、独立宣言文の朗読と記念歌などが企画されている。

 八十周年を記念して、本国からも独立運動功労者や関係部署から四十人が参加し、先駆的な二・八の精神をしのぶ。また、金ソッキュ駐日大使はじめ民団中央本部の辛容祥団長、在日同胞の各界人士らも参加する。

 在日韓国YMCAではこの間継続して記念式典を開催してきており、全奎長理事長らも参席する。


■ゆかりの地

独立宣言書が読み上げられた当時の
朝鮮基督教青年会館と(左)と現在の在日YMCA会館(右)

 在日韓国YMCAは一九〇六年に神田美土代町にあった日本YMCAの一室を借りて発足し、当時は朝鮮基督教青年会館と呼ばれた。

 一九一四年九月、神田西小川町二―五(現在の千代田区西神田三―六)に三万円の工費をかけて自前の会館を建設した。

 日帝の韓国植民地支配以後、同会館は独立を求める留学生たちが雄弁大会や会合に使ったため、日帝警察の監視下に置かれた。

 一九二三年の関東大震災で焼失した後、六年後に五百メートルほど離れた現在の場所に新会館を建設した。現在のビルは一九八〇年二月に完成した。

 玄関前に置かれた二・八独立運動記念碑は一九八二年に建立された。


■2・8独立運動とは

「2・8独立運動」志士たち

3・1運動の導火線に

 日帝が韓国を併合した一九一〇年以降、土地調査事業などの過酷な収奪により多くの同胞が中国東北地区や日本への流出を余儀なくされた。独立を求める抗日闘争の烽火は各地で繰り広げられた。

 このような状況を憂いた日本に留学していた学生たちは、民族の自決と独立を勝ち取ろうとして一九一九年二月八日、東京の朝鮮基督教青年会館に結集。「日韓併合がわが民族の意思によるものではなく、民族の生存と発展を脅かす原因となっている」と高らかに民族の独立を宣言した。

 この在日主体の二・八独立運動は、韓国の近代民族運動の原点となった三・一独立運動を導くものとなった。特に、当時の世界的な状況を的確に視野に入れた先取性と組織性を含みながら卒先垂範の決死の覚悟で格調高く民族の自決をうたったことが高く評価されている。


■「2・8独立宣言書」の全文

 朝鮮青年独立団はわが二千万の民族を代表し、正義と自由の勝利を得た世界万国の前にわが独立を期成せんことを宣言する。わが民族は四千三百年の長い歴史を有し、世界最古の民族の一つである。時には中国の正期を奉じたことはあったが、これは両国皇室の形式的な外交関係に過ぎなかった。朝鮮は常にわが民族の朝鮮であり、いまだかつて一度として統一国家であることを失い、異民族の実質的支配を受けたことはなかった。

 日本は朝鮮が日本と唇歯の関係にあることを自覚していると称して、一八九四年清日戦争の結果率先して韓国の独立を承認した。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアなどの諸国もまたみな独立を承認しただけでなく、これを保全することを約束した。韓国もまたその恩義に感じ鋭意諸般の改革をおこない、国力の充実を図ったのである。

 当時ロシアの勢力が南下し東洋の平和と韓国の安寧を脅かしたので、日本は韓国と攻守同盟を結び、露日戦争をはじめたが、東洋の平和と韓国の独立はこの同盟の主旨であった。ここにおいて韓国はいよいよその好意に感じ、陸海軍の作戦上の援助はできなかったが、わが主権の威厳までも犠牲にしておよそ可能な限りの義務を尽くし、東洋の平和と韓国独立の二大目的を追求した。

 しかしその戦争が終結するにおよんで、当時のアメリカ大統領ルーズベルトの仲裁によって講和会議が開かれたが、日本は同盟国である韓国の参加を許さず、露日両国の代表は日本の韓国にたいする宗主権を任意に議定した。日本はその優越した兵力を恃み、韓国の独立を保全するという旧約に違反し韓国皇帝および政府を脅かし、韓国の国力充実によって独立が得られる時期までという条件をおしつけて欺き、韓国の外交権を奪って、日本の保護国となし、韓国をして世界列国に対し直接交渉する道を断たしめた。さらに相当の時期までという条件で司法・警察権を奪い、徴兵令実施までという条件で軍隊を解散し、民間の武器を押収して日本の軍隊と憲兵警察とを各地に配置した。

 甚だしきは皇宮の警備までも日本人の警察を使用するに至った。このようにして遂に韓国を無抵抗なものにしながら、わが明セキな光武皇帝を放逐し、精神の発達が充分でない皇太子を擁立して利用し、日本の走狗を持っていわゆる内閣を組織し、ついに秘密と武力とをもって合併条約を締結した。ここにわが民族は建国以来半万年にして自己を指導し援助すると約束した日本軍閥の野心的政策の犠牲となった。実に日本の韓国にたいする行為は詐欺暴力から出たものにして、このような詐欺による大きな成功は、まことに世界興亡史上特筆すべき人類の大恥辱といわねばならない。

 かの保護条約を締結するとき皇帝と賊臣を除く数人の大臣はあらゆる反抗手段を尽くし、その発表の後もわが全国民はみな素手でもって可能な限り反抗した。司法・警察権が奪われ軍隊が解散されたときもまた同じく反抗した。

 こうして合併の際には、手中に寸鉄の武器をもたず、可能な限りの反抗運動を試みたが、精鋭な日本の武器により犠牲となった者は数知れない。以後十年間、独立を回復するため運動で生命を犠牲にした者また数十万に達した。かの惨酷な憲兵政治のもとで、手足と口舌の自由を奪われながらも、独立運動は間断なく続けられた。これらによってみても、韓日合併は朝鮮民族の意思ではないことを知らねばならない。

 このようにして、わが民族は日本軍国主義の野心家の詐欺、暴力のもとに民族の意思に反する運命におかれた。それ故に正義、人道をもって世界を改造するこの時にあたり、その匡正を求むることは当然の権利であり、また世界改造の主人公であるアメリカ、イギリスは保護と合併に対し率先して承認をしたという理由によって、今日その旧悪を贖う義務がある。

 また合併以来の日本の統治政策をみると、かの合併当時の宣言に反し、わが民族の幸福と利益を無視し、征服者が被征服者にたいするような古代の非人道的な政策を襲用し、わが民族に対し参政権、集会・結社の自由、言論・出版の自由などを一切許さず、甚だしきは信教の自由、企業の自由に至るまでも拘束している。行政、司法、警察などの諸機関で朝鮮民族の私権さえも侵害しないものはない。公的にも私的にもわが民族と日本人との間に優劣の差別を設け、わが民族には劣等の教育を施し、永くわが民族を日本人の使役者にしようとしている。

 歴史を書き改め、わが民族の神聖な歴史的、民族的伝統と威厳を破壊し、さらに凌辱を加えている。少数の官吏を除く他は政府の諸機関、交通、通信、兵備などの諸機関の全部あるいは大部分には日本人を使用し、わが民族に永遠に国家生活の智能と経験を得る機会を与えないようにしている。わが民族は、このような武断専制の不正、不平等の政治のもとでは、決してその生存と発展を享受することができない。

 それだけではない、人口過剰の朝鮮に無制限の移民を奨励し、土着のわが民族が海外に流離するのやむなきにいたらしめた。また政府の各機関はもちろん私設の諸機関にまでもことごとく日本人を使用し、一方ではわが国民に職業を失わしめ、また他方ではわが国の富源を日本に流出せしめた。また商工業においても日本人に対してのみ特殊な便益を与え、わが民族にはその産業発展の機会を失わせている。このようにあらゆる方面でわが民族と日本人の間の諸般の利害は互いに相反し、その害を受くるものはわが民族である。故にわが民族は生存の権利のために独立を主張するのである。

 最後に東洋平和の見地からみても、かの最大の脅威であったロシアはすでにその軍事的野心を放棄し、正義と自由にもとづき新国家の建設に従事している。中華民国もまた同様である。さらに今後国際連盟が実現すれば、再び軍国主義的侵略を敢行する強国はなくなるであろう。とすれば韓国併合の最大の理由はすでに消滅している。これより、もし朝鮮民族が無数の革命の乱をおこすとすれば、日本に合併された韓国は却って東洋平和を乱す禍根となるであろう。わが民族はただ一つの正当な方法によってわが民族の自由を追求する。

 もしこれが成功しなければ、わが民族は生存の権利のために自由な行動をとり、最後の一人に至るまで必ずや自由のために熱血をそそぐであろう。これがどうして東洋平和の禍根とならないであろうか。わが民族は一兵も持っていない。わが民族は兵力をもって日本に抵抗する実力はない。しかしながら、日本がもしわが民族の正当な要求に応じなければ、わが民族は日本に対し永遠の血戦を宣布せざるを得ない。

 わが民族は高度の文化を持ってからすでに久しい。そしてまた半万年にわたる国家生活の経験を持っている。たとえ多年の専制政治の害毒と境遇の不幸がわが民族の今日を招いたものであるにせよ、今日より正義と自由とにもとづく民主主義的先進国の範に従い、新国家を建設するならば、わが建国以来の文化と正義と平和を愛好するわが民族は必ずや世界の平和と人類の文化に対し貢献するであろう。

 ここにわが民族は日本および世界各国に対して自決の機会を与えることを要求する。もしその要求が入れられなければ、わが民族はその生存のために自由な行動をとり、わが民族の独立を期成せんことをここに宣言する。

西紀一九一九年二月八日
在日本東京朝鮮青年独立団代表
崔八鋪、尹昌錫、金度演、李j根、李光洙、宋継白、金テツ寿、崔謹愚、白寛洙、金尚徳、徐椿

(1999.02.08 民団新聞)



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