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韓信協信組、生き残りへ再編進む

まず埼玉、北海道、山口、島根で



 韓信協傘下信用組合の再編が着々と進む中、二十三日には東京商銀に事業譲渡した埼玉商銀の旧店舗が東京商銀の各支店として営業を開始し、二十九日には北海商銀の事業を譲受した宮城商銀が新しく北東商銀として出発した。これに先立って二月二十二日には山口と島根の商銀から事業譲受した広島商銀も三県で営業を開始している。


■北東商銀・まず宮城と北海道で

 【宮城】名称を改変して出発した北東商銀(鄭圭夏理事長)は二十九日、仙台市内の本店と旧北海商銀の三店舗で営業を開始した。北東商銀は旧北海商銀から預金百五十六億円と三店舗を譲受し、四店舗、職員五十二人、総預金三百一億円、東北地区で初の広域信用組合として出発した。

 開設記念式は同日、本店となる旧宮城商銀本店と札幌支店として営業を開始した旧北海商銀本店で関係者らが参席して開かれた。札幌支店では鄭理事長はじめ李煕健韓信協会長らが、本店ではソウ秉烈、鄭圭泰の両副理事長、民団中央本部の辛容祥団長、黄圭政駐仙台総領事、李順浩韓信協副会長らがテープカット。

 鄭理事長は「経営を合理化し資産確保・拡充に力を入れ、安心して取引していただける組合を構築したい」と力強く訴えた。

 北東商銀は年内に残る東北の四組合との合併を目指して協議していく方針。

 同商銀はこの日、黄総領事と朴鍾煥民団宮城県本部団長を迎えて「一日理事長」キャンペーンを実施した。


■埼玉は「東京商銀」に新生

 経営破綻によって、東京商銀(金聖中理事長)に事業譲渡した埼玉商銀の四店舗が東京商銀の埼玉地区支店として生まれ変わり、二十三日、県内の四店舗で新たな出発を切った。

 この日、真新しい看板がつけられた東京商銀・浦和支店(旧埼玉商銀本店)では午前八時三十分に全職員が朝礼。新たな出発を前に金理事長が「本日から東京商銀と名前は変わっても、地域密着と組合員への奉仕という精神は変わらない。みなさんとともに心をひとつにし、新たな埼玉同胞の金融機関をめざそう」と訓示した。

 正午からは、浦和市店近くのホテルで関係者二百五十人を集め、「新生東京商銀埼玉地区懇親会」が開かれた。

 旧埼玉商銀の許清二理事長が事業譲渡までの経過を説明したあと、金理事長があいさつ。

 「ここに至るまでの道はいばらの道。これまで埼玉商銀を支えてきたみなさんの驚きと心痛は大変大きい」とし、「譲受は決して埼玉商銀の消滅でなく、同胞の血と汗によって育ててきた民族金融機関の灯火を守る決意と情熱の結果だ。東京、埼玉の区分けなく『われわれの商銀』として出発しよう」と呼びかけた。

 この後、韓信協の李煕健会長、駐日大使館の李先鎮総領事、埼玉県の土屋義彦知事(代読)、地元民団埼玉本部の白台欽団長らが「新生された商銀の発展には地元同胞の団結が不可欠。心をひとつにしともに育てていこう」と訴えた。


■山口、島根は広島に吸収

 【山口】山口、島根の両商銀の事業を譲受した広島商銀(徐漢圭理事長)は二月二十二日、三県にある十七店舗で営業を開始した。旧山口商銀と旧島根商銀から預金二百九十二億円、八店舗を譲受し、これによって広島商銀は預金一千百億円、十七店舗を有する広域信用組合となった。

 同日には宇部支店(旧山口商銀本店)と松江支店(旧島根商銀本店)で発足式が行われた。徐理事長は「役職員が一層努力して業務遂行したい」と抱負を語った。

(1999.03.31 民団新聞)



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