民団新聞 MINDAN
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座談会1

座談会・「在日のこれから…多文化共生めざし」



---豊かな同胞社会へ、枠組みの再構築を---

 国籍と民族の問題をめぐって、在日同胞社会では様々な議論が交わされている。背景には急激な日本国籍者の増加が挙げられる。帰化手続きによるものだけでも、日本法務省の統計によれば年間一万人前後で推移している。もはや国籍イコール民族という単純な図式では、在日同胞社会の将来を語れない。こうした中で在日同胞社会の一部からは、国籍と民族は別だとして本名による帰化手続きを進めようとの声さえ起きている。それほど個々の在日同胞の生きかたは複雑、かつ多様化しているのだ。民団新聞では「在日をどう生きるのか」をテーマに地域で地道な実践を積み重ねている在日同胞の有志、識者に語ってもらった。


21世紀の民族・国籍・「帰化」・多文化共生を
語り合う4氏(ウリ法律事務所で)

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■座談会出席者

金敬得(ウリ法律事務所主宰)

ペ重度(川崎市ふれあい館館長)

李敬宰(高槻むくげの会代表)

姜 誠(ルポライター)

司会 ペ哲恩(民団中央宣伝局長)

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◆◇国籍と民族◆◇

▼ 司会

民団ではこれまで、「在日」をどう生きるかということが論議されても、国籍と民族の問題にからめて話し合ったことはあまり無かったと言っていい。しかし、在日同胞三世以降の若い世代の中には、国籍=民族ではないと考え、日本国籍を取得した上で民族として生きるという生き方を志向する傾向も目立ってきている。

 これまで自明の理としてきた「国籍=民族」という図式そのものが問われているのは確かだ。来たるべき二十一世紀を前にして「在日」をどう生きるかについて話し合い、これからの論議のたたき台としたい。


内外人平等の先頭に…金

● 金

民族的に生きるというのは、将来的にも当為性を持つと思う。出自を隠さずに生きるということは、人間的に生きるということだから。日本の差別の中、本名を名乗りたい、名乗らせたいのに名乗りにくいという状況が普遍的にある限りにおいては、民族、出自にこだわらざるをえない。

 ところが、そうした差別状況が制度的に崩れてくると民族的に生きるということとプラスして、韓国籍なり朝鮮籍なり、あるいは統一されたら統一国家の国籍を持って国民的に生きるということがどういうことか、問い直していかなければならない。本国との関係で国籍というものが極めて形がい化している現実があるからだ。

 過去、国籍には、差別に抗し民族的に生きるという機能としての色彩が濃かった。しかし、今は民族的に生きるにあたって国籍は特に必要とされない。これからは国籍を持って生きることの意味をどこに見いだすのかということになる。

 私は結論的に言えば、「内外人平等の先頭に立つ」ということに国籍を持って生きることの意味を見いだす。日本はもとより韓国、北朝鮮、あえていえば将来の統一国家においても外国人差別をなくさせることで、内外人平等のメッセージをアジア全体、全世界にまで発信していく。だから私はあえて外国人として生きる。


「在日」の再定義必要…姜

● 姜

 僕自身は朝鮮籍だが、金敬得さんと違って、国籍にこだわらない「在日」の生き方を模索していかないとこれは大変なことになるな、というのが実感だ。時代は現状よりもものすごく早く変化しているのだから。政治家、官僚、学者など、いろんな人と会って取材してみた結果、何に最も議論が集中しているかというと一点だけ。時代の中心が「グローバリズムの受容と主体の確立」になっている。

 グローバリゼーションとは、地球を一つのものとしてとらえるということで、ボーダーを前提としない相互関係のあり方だ。例えばサミットはこの三年間というものテーマはずっと「グローバリズム」。国境とか国籍の概念がこれからどんどん低くなるというけど、僕はそうじゃなくて再定義が始まると考えている。そういう意味で「在日」の状況を考えてみると、「グローバリズム」の受容というのは一つが「脱国家」であり、もう一つ「主体の確立」というのは民族的アイデンティティーの確立だと思う。

 この二律背反するものをどうやって一つにまとめていくかがこれからの「在日」に問われている。その現象的なものが帰化者の増加であり、あるいは国際結婚の問題、いわゆる特別永住者もどんどん減っているという状況。こうした中で「在日」は現実にはどんどん多様化しているし、広義では増えている。

 しかし、従来の国民国家概念で切ってしまうと、この「在日」の数は減っていく。「グローバリズム」という流れを受け、変容する国民概念、国家概念の中でわれわれは「在日」自身の再定立をしないといけない。そうすれば「在日」自身は増えるし、豊かに膨らんでいくんだと思う。


<「在日」の総体増えている>

● 李

 姜さんの言われているのは日本国籍を取得した人とか、生まれながらに日本国籍を持っている「在日」の子どもたち、日本国籍者をどう考えるかということですね。そういう日本国籍保持者を「在日」社会がどう位置づけ再定義していくかということは、今まさに問われているんじゃないかな。

● 姜

 そうしないと既存の民団、総連を含めた「在日」というものは政治的モラトリアムに陥って、新しく「こうやって生きていこうよ」というのは出せない。

● 李

 中身は何もなくても韓国籍さえ持っていたら韓国人だと言われたら、「別におれはそうは思わんぞ」といういう人はざらにいるわけでしょう。帰化している人でも比較的民族的に生きている人、本名で帰化という人もいる。

● 姜

 帰化した人をうんぬんしているわけでなくて、民団や総連、あるいは第三の生き方もあろうかと思うが、少なくとも外国籍を持って生きている人たちのなかでこそこういう論議をしていかないと。逆に言えば、現状では帰化している人に対してわれわれは何も発信できないんじゃないか。なぜかというと、僕らも彼らを切り捨てているわけだから。国籍を持っていないということで。

(1999.05.05 民団新聞)



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