民団新聞 MINDAN
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座談会2

日本国籍者



ペ重度さん

▼ 司会

 ペさんは在日同胞多住地域の一つ、川崎に根ざして活動しているが、「在日」の意識の変わりようを実感することは。


多様な生き方認めよ…ペ

● ペ

 確かに帰化する人間が多い。それからダブルの子がものすごく増えているという状況もある。朝鮮籍から韓国籍に変わるという実態も非常に多い。ところが、地域の中で見ると、旧態依然として本名でからかわれるとか、学校の中では日本人と同じように扱うのが何で悪いんだみたいな、そういう実態はまだまだ残っている。それでわれわれの新しい世代の親がまた悩む。その一方で、本名を名乗って生きていくという同胞も極端ではないにしても増えてきている。それも確かだ。

 われわれは今までこういう生き方はだめでこういう生き方はいいんだ、みたいな言いかたをしてきた。けれども、今はそういう断定ができない状態にある。言いかえれば、われわれの生き方の選択肢が増えてきたということではないのか。

 「こういういろんな生き方の選択肢があるんですよ」ということを共通項として認めてあげる雰囲気づくりをしないと、民族的に生きるといってもそこに寄ってくる人は非常に少ないんじゃないかと、そういう気がしている。息子や娘が「アッパ、日本人と結婚したらどう思うの」とたまに言う。「どう思うのと聞かれればおれはイヤだよ」。

● 李

 首くくるよと。

● ペ

 いや、そこまでは言わないけれど。「おれの生き方としては同胞同士、結婚してほしい。だけど、おまえのそういう生き方というものに対しては、なるべく理解しようとかあるいは尊重しようと思うよ」と。同胞が同胞と出会う場がほとんどないんだから。後ろ見たら三百六十度日本人だらけの所にいてはどういう状況になるかは分からない。そういう環境のなかで起きる事態をわれわれは受け止めなければならない。


<力強かった権益擁護運動>

● 李

 民団社会なり、総連社会が歩んできた五十有余年は、ある程度厳しく総括する必要があるんではないか。本国志向の狭間で「在日」の当時の人権は結果として軽視されてきた時代があった。民団については途中で権益擁護運動に取り組んだ結果、全国的にまたたく間に広がった。あの力を考えると「在日」の人権にもうちょっと力強い取り組みをしていれば、「在日」はもうちょっと変わっていたんではないか。

 このさき民団社会が「在日」のために何を創れるか。民団が帰化同胞も友好団員として門戸を広げたと言うけれど、友好団員というのは「二級市民」みたいなものでね。民団が帰化した人たちの評価を大きく変えないと、一緒にやっていくのは難しいんじゃないか。

● 金

 評価を変えるも変えないも、変わっていかざるをえないでしょう。問題はそれを変えて、帰化した人がどれだけ入ってくるかの問題なのだ。日本国籍者をどれだけ同胞社会に取り込んでいけるか。これは民団だけでなくて総連でも、市民運動でも真剣に考えなくてはならない。ただし、民団がいくら開放しても彼らが哲学をきちっと創りあげないと。まだ、国籍を持っている人間と対等にやるという論理はできているとは思えない。私はそれができる時代が来なきゃいかんと考えるんだ。それだけに私らは、彼らに対して限りなくアプローチしなければいけない。できるだけオープンにして。


排除論理見直しを…李

● 李

 帰化した人たちが自分たちのことをいろんな呼び方しているでしょう。"日本籍朝鮮人"というのが代表的な呼び方だと思うけれど、プライドを持ってしっかりと"韓国系日本人"だと出てくれればいいわけですよ。それが出てこなかったのは「在日」社会がそこに対してはかなり厳しかったからでしょう。

 でも、もう出てくると思う。「在日」社会で日本国籍を取る人たちがこれだけ多くなっているわけだから。日本籍取ったらもうあんたたち、韓国人として終わりですよと言ってももう説得力持てへん。

▼ 司会

 では、国籍イコール民族と考えている組織が現状を追認してイコールを外すべきなのか。

● 金

 "イコール"は一気には外せないと思う。民団にしても総連にしても本国との関係で存在理由を維持しているという一面があるんだから。そこを一気に外してしまったら本国との関係をどうするのか。本国との関係を完全に切ってしまうというのはできないんだから。そこは組織として政治判断していくしかない。

● 李

 僕は、民団と総連が日本国籍者を役員として迎えるというふうにして自分たちの組織の中に抱えていくのは無理なんじゃないかなと思う。第三極が生まれてくるという状況ができてくればいいけど。

● 金

 それは日本国籍を取った人が組織のためにどれだけ貢献してくれるかで決まる。日本国籍友好団員制度を作ろうとしたのは、友好団員になった人間の金も力も借りなきゃということからそうなった。

 ただそうすると、韓国籍を持った一世が本国に行ったときに"おれらは韓国籍を持って日本でこれだけ差別されているのに、本国政府はどうして日本国籍を取った帰化者と同等の扱いをするんだ"という反発が出るんだ。そういう意識が一世にはまだあるということを踏まえて運動していかなければならない

 国境を越えたグローバル化は、二十一世紀になれば間違いなく進んでいくが、国家という重みはやっぱりある。日本で「在日」として民族的にどう生きていくかといえば、一つは日本の差別とどう闘っていくかということ。もう一つは本国との関係をどうするかということ。これらは国民国家、民族国家がなくならん限りは永遠のテーマだろう。

● 姜

 だから難しいと思う。国民国家は二十一世紀も続く、だから「在日」としては関係を維持していかなければならないと―。当然のことだが、その維持の仕方が問われているんだと思う。


金敬得さん

<本国との関係どうするか>

● 金

 だから将来的に「在日」をどうイメージしていくかでしょう。

● 姜

 その青写真ですよ。本国とどういう政治的関係を結んでいくか。日本政府とどういう契約関係を結ぶか。地域との関係はどうか。その中で「在日」がどのような機能をはたすかということは、歴史にどういう個人として立ち上がれるかという問題とも絡んでくると思う。祖国の統一にどう寄与していくかという問題もあるし。

 そういうものと有機的に結び付いていかないと民族意識を持ったってしょうがないでしょう。

● 李

 本国との関係を持たずして、民族意識が成り立たないということですか。

● 金

 成り立たないとは言わないよ。「在日」二世の民族意識は本国との接触を通してというよりは、日本社会との差別との関係で創られてきたと私は思っているから。(民族意識が)マイナスからゼロまでいくまでは差別との闘い。マイナスからゼロに達してプラスにいくときは、本国をどうしてやろうとか国との関係を考えなければ、これから先の教育概念や理念は作れない。

● 李

 うーん。マイナスからゼロというとき、そのゼロというものがなかなか来ない。たぶんわれわれが生きている間はゼロにはならないだろう。

● 金

 だから両方考えないとだめだよ。マイナスからゼロに目覚めていくのに苦労しなければならないのが八割、それをやりつつ目覚めた一割〜二割はゼロからプラスまでやっていかなければならない。そこで今、民族と国籍が問われているわけだ。

● 姜

 結局はメンバーシップの問題で、こちらが絶対に正しいといっても「それではようついていかん」という人たちがいっぱい出てきている。多様な居留形態に対応するメンバーシップを提起して「この指止まれ」方式でいくのか、あるいは「そこのけそこのけ雀の子」でこうじゃないとおまえたちはコリアンじゃないんだよと突き詰めていくのか。

 これまでは「在日」自体が「排除の論理」でやってきたと思う。新しいメンバーシップの概念を出していかないと。たくさんの人が集まらないのに、そこにどうして豊かなイメージを見いだすことができるだろう。

● 李

 私が民団を再評価したのは権益運動のころやったかなと思う。それ以前はわれわれの住んでいた被差別朝鮮人の地域をほったらかしておいて「おれたちには立派な祖国があるんだ」と、そっちばかし関心が向いておった。だからわれれの地域実態や生活実態が変わったのはやはり、民団が「在日」に目を向けるようになってからで、それを大きく広げたのは権益運動やったと思う。

● 金

 日本の社会に私らが声を出していったのは、もう耐えきれなくなってそろそろやらなければという側面もあったけれど、やっぱり状況の変化もある。日本の社会の殻が固くて、言ったってどうしょうもないという時は本国志向でいくしかなかった。

 それが日韓条約で一体何が変わったのかとなって、地域に根付き、差別と闘わなければならないとなる。七〇年代に入って民闘連が出てきたのもその時その時の客観的情勢と流れ、必然性があった。そういう流れの中でいまや地方自治体の参政権という時代。言ってみれば外国人として取るところの最後の権利だ。

 差別と闘うための機能としての国籍として市民運動をやってきたけれども、その間に本国との権利・義務関係は全くのらち外に置かれていて、一体本来の国籍とは何だということが今問われている。

● 姜

 「在日」は東アジアにまたがる存在になっていい。今までの国民国家は国家を維持するためにメンバーシップは一個しかないということで国籍を強要してきた。メンバーシップはいくつかあっていいと主張したい。一個しかメンバーシップを許さない国家に対して、複数のメンバーシップを持ってもおれたちはおれたちなんだと主張できるずるさを持つべきだと思う。

 日韓条約で二重国籍がなぜ論議されなかったのか。特別永住者に限っては日本は無理としても韓国側で認めてしまえばどうか。

● 金

それは日本がやるべきだ。いまの西ドイツがやろうとしているように韓国の国籍保持者に日本国籍を与えましょうと。そういう制度下で日本国籍を取ったとする。そのときに問題となるのは韓国や北がそれぞれ二重国籍状態を認めるほどに人権意識が高まっているかどうかだ。私らはそういう社会を日本でも本国でも創っていかなければならない。


<結婚相手には同胞望む>

▼ 司会

 仮に皆さんの子どもが日本人と結婚したいと言いだしたらどうするか。

● 金

 誰と結婚してもいい。ただ、過去の歴史を振り返り、将来を見て、日本人と結婚することがどういう意味があるんだと分かって結婚できる子どもに育て上げられるかどうかということ。その結果として誰と結婚しようとも、その子どもの判断することだ。

● 李

 私も自由でいいと思っている。自由に好きなように。たとえ相手が何人であろうとも。

● ペ

 でもね、一世がこれまで(日本人との結婚に)反対してきたのは、理屈を越えた説得力を持っているんだ。結婚というのは個人対個人の結びつきではあるけれど、それぞれの家を引きずってくるわけだよ。国際結婚というものは見合いではなく恋愛だから夫婦間はいいわけだ。ところが、けんかが始まると、夫婦の間を裂いていく現実を見てきているわけ。

 親の立場からしたら、そういう状況に子どもを置きたくないと思うから、「するなよ」という言い方になってくる。できるならそういう結婚は避けてほしいなという思いはある。

● 金

 やはり基本的には民族感情、差別の問題になるのかな。それが離婚原因のすべてとは言わないけれど、離婚の場合、最後は残るよ。"朝鮮人だから"、"日本人だから"という気持ちが心の中のどこかで。

● 姜

 僕は民族結婚を勧める。子どもの時からそう言い聞かせる。これは養う間は親が子どもの時に押しつける価値観でそれ以降はもうしょうがない。

(1999.05.05 民団新聞)



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