民団新聞 MINDAN
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座談会4

民族学校



この子たちに託す在日同胞社会の将来はどうなる

▼ 司会

 「民団も総連も先細りするよ」とよく聞くが、一世が在日同胞社会から完全にリタイアしたとしたらどうなると考えるか。


「土曜学校」で施設活用…金

● 金

 一世の時代は日本社会の厳しい国籍差別状況の中で、本国が求心体であったし、国籍でつながることによって本国に守られてきた訳だが、二・三世の時代になって日本社会が開かれてくるにつれ、国籍は本国とつながっていることの機能が低下してきた。そのような時代に二・三世が組織活動をする、求心力を自らの手で創りあげていくことが重要だ。

● 李

 二極化しているのかな?韓国社会にずっと近づいていく層がある一方で、地域ではどんどんなくなっているから。うちもそういう認識をしているからこそ、日本国籍を取った人間の再位置づけをやり直して「もう一回やりませんか」と声をかけていかんとちゃうのかなと思っているけれども。

▼ 司会

 いままでは国籍という一つのチャンネルだけだったのが、これからはいろんな生き方ができる、となれば、在日同胞社会は先細りせざるを得ないのだろうか。

● 金

 私は先細りするとは全然見ていない。同胞社会の在り方がグローバル化しているんであって、これからは国家、国籍、民族の持っていた比重が相対的に落ちてきて、個人の個性の時代に入っていく。時代の流れに即応した「在日」の多様化が始まっているにすぎない。

▼ 司会

 豊かな同胞社会を目指して、同胞和合の条件づくりについて伺いたい。

● 金

 具体的には民族学校をどうするかということから始めるべきじゃないか。在日同胞は少なくとも今のままの民族学校では、本音のところは民族学校へ送りたいという気はないんじゃないか。

● 李

 地域で見ている限り民族学校というものは切実に要求されていないんじゃないかな。それではなぜ民族学校に入れるのか。民族教育への願望というよりも在日朝鮮人社会からパージされるんじゃないかということを恐れて、流れとして入れていたんと違うかな。

● 金

 「在日」の圧倒的多数は日本で適応できるような教育を望んでいるわけだし、民族学校そのものが様変わりしていかなければならない。ましてや韓国籍・朝鮮籍は年間四〜五千人しか生まれていないんだし。とにかく、二重国籍や純然たる日本国籍も含めて、学校に入れたいというふうにならないと、全日制の学校としての民族学校の維持は難しいのではないか。


人格形成へ最後の砦…姜

● 姜

 朝鮮学校へのニーズがあるのは初・中等までだ。人格形成まででいいというのが父兄のほとんどの意見で、それ以外のニーズはまったくない。とりあえずウリ・イルムを名乗って日本で生活できる―それをまず植え付けたいわけですね。ダブルの子であれ、日本国籍の子であれ、総連、民団の子であれ、アイデンティティーを確固としたものにする教育にはみなお金を出しますよ。実際、お金を出している。その部分の出費に関してはみんな文句を言わない。

● 金

 総連といったって、民族的に生きるという意味では、コアは民族学校に子どもを送っている、あるいは送ろうとしている親だと思うん。彼らが民団側に何を求めているのかと考えたとき、やっぱり民族学校に関心を持って、金も出して、子ども送り出してほしいということじゃないのか。

● 姜

 総連の学校を見ているとよくやっていると思うことも多いですよ。ある四百人ぐらいの学校ですが、去年なんか十三人が日本の学校へ換わってしまった。それで、どこが悪かったんだと教員らが議論を始めるわけです。そういう取り組みとか、頭が下がります。

● 金

 朝鮮学校側が民団側に関心を持ってほしいというなら、朝鮮学校が「土曜学校」をやればいいと思う。施設はあるし、先生も頭を柔軟にして「土曜学校」をやればいいんですよ。そういう具体的なアプローチが始まらないと。

● 姜

 ある地方の例だが、四百人の生徒数に対して教員は四十一人。運営費は年間一億六千万円。教員の人件費が年間一億円だから一人当たり二百五十万円でれでやっているわけだ。

 そんな低賃金でも何年間かは使命感でやっている。血を流しながらやっている、その動機付けが分からなかったが、子どもを送ってみて初めて分かった。やはり在日にとって最後の砦なんだ。ニーズとしてアイデンティティーをしっかりさせたいと。やっぱりすごいなと思うのは、そういう教員を再生産していること。

● ペ

 今でも崇拝教育やっているの。

● 姜

 ある人の話では、それはものすごく少なくなったそうだ。教科書を見てもびっくり。(以前とは)全然違う。初・中等教育までは、ある意味で日本の教科書そのままだ。

● ペ

 民族学校がそんなふうに変わりうるんだという可能性、兆しが見えるんだったら、本国政府の「抱容政策」じゃないけれども、民団なんかも民族学校を維持するためにサポートするみたいな発想ないしは気運があってもいいんじゃないのか。

 自分の子どもを日本学校に入れるか朝鮮学校に入れるかでずいぶん議論したけれど、朝鮮学校は金日成教育をやっていたのでそれはちょっと避けたかった。それがもし排除されるというならば、自分の子どもには自分とは何者なのかを自己確認的意味合いで最低限教えたいということで、民族学校に通わせるという親もそこそこ出てくるのではないか。


<垣根を超えて将来像論議を>

● 金

 三十年後の民族教育を想定した場合、南北統一がなっているかもしれない。少なくとも統一に至る枠組みができているでしょう。アホみたいなイデオロギー論争も学校では無くなっていることでしょう。そうなると、本国に帰る教育をするのか、日本社会に適応できる教育をするのかという二つに収れんされるでしょう。そうなると、いまの韓国学校のように本国に帰る、あるいは限りなく本国に近い教育をする学校は残る。朝鮮学校にしてもしかり。

 しかし、本国から来た人や本国に帰る人を中心としない教育をするための学校はどんなふうに様変わりしていくのか。インターナショナルスクールのような形になっていくのか、地域の日本の学校のようになって日本人も入れるのか―全日制の学校としてはそういう形でしか残れないのではないのか。

 三十年後の民族学校とは三十年後に向けて今の民族学校をどうやっていくのかということになっていくわけだから、そういうことを民団、総連の垣根を越えて論議すべきだし、論議だけでなく実践しなくてはならんでしょう。

● 姜

 どっちにしても学校の法的地位をめぐって将来は日本政府と交渉しなきゃいけないんですよ。

● 金

 不幸なことに民族学校の持っている問題点とか資料が、在日同胞には知らされていない。日本政府は持っているだろうが、少なくともそこら辺の所からオープンにして、民団、総連の垣根を越えて話し合っていかないとどうにもならないんじゃないか。

▼ 司会

 「在日」をどう生きるか。その根幹をなすのは教育なんだという再認識ができたと思う。最後に「在日」ヘのメッセージをいただきたい。

● 姜

 新しい発想で「在日」の枠組みを再構築しなければならないんじゃないか。将来のあるべき在日像という青写真も描けず、政治的モラトリアムの中で民族的モラトリアムが始まっている。国籍を持っていても実態は日本人だというのはまさしくモラトリアムだと思う。こうしたいびつな形を直すためには、民族的アイデンティティーをどうやって担保していくかを真剣に考えていかなければならない。


<国籍の差を超えて生きる>

● 金

 国籍の差を超えて、在日同胞としてどう生きていくかうという形で考えていかなければいけないだろう。やはり「在日」の経緯、社会的実態、それから「在日」の望み…。そういうものを日本の社会に分からせる、と同時に本国社会にも分からせるし、理解させなければならないという方向でわれわれは生きていく。そのために国籍をどう使っていくかという形からやっていく生き方しかないんだろうなと思っている。これは過去五十年がそうだったように、今後の五十年もそうなんだろう。

● ペ

 民族的に生きるということは、個性的に生きていくというふうなことの大きな担保だと思っている。そのことを大事に考えて生きていける生き方を作り出したい。同時にそういう個性を発揮できる場を一つでも多く創り出し、保障していってあげることが大事なんじゃないか。そのために民族団体はもとより、日本の社会に対してもどう食い込んでいくのかということを考えてもいいのではないか。

● 李

 いまの韓国・朝鮮籍者の減少、帰化者の増加は、座視しているわけにはいかない。ではこの流れを止められるかというと、止められない。だから日本国籍を持った人たちが「在日」社会で正当に評価される動きというものをつくっていきたい。

(1999.05.05 民団新聞)



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