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こつこつと「韓国」を知らせ続け

韓国文化院が開院20周年



 韓国の文化を世界に先がけて隣国の日本に広く紹介するために開設された韓国文化院(鄭鎮永院長)の開設二十周年記念式典が18日、東京・麻布の韓国文化院ホールで行われた。

 会場には、金ソッキュ駐日大使、辛容祥民団中央本部団長はじめ日本側からも林田英樹文化庁長官、長沼建2002年W杯組織委員会副委員長、熊谷直博日韓文化交流基金理事長ら関係者二百余人が参加した。

 鄭院長が韓国文化院設立から20年の活動を振り返り、文化を通じて韓日相互の交流が積み重ねられてきた変遷を語った。

 会場にはこの間、韓国文化院を通じて韓国への理解を深めてきた人士らが和やかに懇談した。

 文化院は20周年記念として絵画展、映画上映会、講演会などを継続して開催していく。


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鄭鎮永院長

■韓国文化院20年と今後
 鄭鎮永院長にインタビュー

▼韓国文化院の活動を教えてください。

 自国の文化を紹介する文化院は先進国ではみな持っている。大使館は政治、経済など様々なものにタッチするが、文化はなかなか入りづらい側面がある。韓国文化院は現在、米国に3カ所、カナダ、フランス、ドイツ、ロシア、中国と東京、大阪の10カ所にある。

 小学生から専門家まで、韓国について知りたいという人が利用でき、活動内容を調べることができる。また広く韓国の文化を紹介しようと文化院設立直後から月刊『韓国文化』を発刊、現在234号を数えている。


■□地道なPR積み重ねて韓国理解増進■□

▼この20年間に韓国文化院が果たした役割は。

 日本の国民に正しい韓国理解を促し、相互理解を深め、友好親善を図ってきた。そのために伝統文化紹介をはじめあらゆる方面から文化紹介のためのプログラムを開催してきた。

 文化院ができた当時、韓日の関係はあまりうまくいっていなかった。82年には日本の「教科書問題」が起きた。88年のソウルオリンピックで韓国ブームがわき起こったが、その後従軍慰安婦問題が持ち上がった。やっと昨年、金大中大統領の訪日以来、いい雰囲気が続いている。


■□存在示すため日本一のビルに開院■□

 国と国との相互理解を深なければならないと朴正煕大統領が文化院を作る計画を立てた。日本に一番最初に作ったのは、特別な関係があるから。国民の日本に対する感情、経済関係がぎくしゃくしていたのが実情だった。文化院の前身である広報館は韓日国交正常化前から設置されていた。しかし、公報と一緒に活動をしていたために文化面がおろそかになりがちだったために分離した。

 韓国文化院の存在を広く知ってもらうために、当時は日本一の高さを誇り象徴的な建物だった池袋のサンシャイン60を選んだ。

 そこでハングル講座を開設した。当時ハングル講座を設けていたのは朝日カルチャーセンターと文化院だけ。大変な人気を呼んだ。この講座に参加して日本の新聞記者や教師になった人も多く、約3,000人が学んできた。相手の国を知ると言うことは、自分で新聞や本を読めるようになることが一番理解を深めることになる。

 今は女性がたくさん韓国を訪れるようになっています。韓国文化を知らせる様々な展示やPRを積み重ねてきたことが、現状につながっていると思う。昔は韓国観光と言えば「キーセン旅行」というイメージがあった。

 一昔前の日本の方は「韓国はデモばかりやっている」というイメージが強かった。韓国との往来が多くなるにつれて、そのイメージは今では通じなくなっている。

 文化院ができたことによって、日本人の韓国観は変わってきたと思う。この仕事を続けてきて良かったと感じています。

▼韓国での日本大衆文化開放については。

 昨年から韓国内で日本の大衆文化を段階的に開放しています。タイミングとして非常に良かったと思う。日本にも良い文化がある。良い文化は学べばいい。日本の文化も韓国に入り、交流をしていくことが必要です。他の文化が入ってくることによって韓国でも刺激が与えられる。


■□ソウル五輪で韓国観一気に変化

▼日本の韓国観がもっとも変化した時期はいつでしょう。

 それはソウルオリンピックです。直接日本のマスコミが韓国に取材に行き、生の韓国を日本に伝えた。それまで日本のマスコミは三八度線や北韓の問題ばかりやっていた。

 それがソウルの街並みやキムチなど庶民的な映像を映しだした。オリンピックを契機に韓国の食文化が日本に広く紹介された。これが日本人の韓国イメージを変えたと思います。

▼文化院の今後の方向性を教えてください。

 少なくとも一番近い隣国に韓国を象徴する建物があれば最高です。常設展示場もふくめて様々な活用ができる。そのためにも独立した建物が必要だと思います。その国の言葉を知ることが真の理解に近づくという意味から、ハングルの普及に一番力を入れたい。ソウルへ行って何年かいた人も、使わなければ忘れてしまう。ですから初級、中級を終えた人向けの上級クラスを設けたいですね。

 また日本の文化人に韓国を理解してもらいながら、その人たちが韓国を紹介してくれると、日本の方に説得力がある。

 民間同士のつながりは、一度信頼関係ができれば強い。文化を通じた交流によって深いつながりができる。そういう意味で私たちの仕事を地道に続けていきたい。


■鄭鎮永文化院長

 1966年から7年間日本に留学。75年広報官として再来日。以後数度にわたり韓日で広報関係に勤務。93年に文化官として来日、97年に文化院長に就任。

(1999.05.26 民団新聞)



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