東京に住んではいても、しょっちゅう新宿に行くわけではない。久方ぶりに訪れた街はソウルにいるのかと、錯覚させるほど変貌を遂げていた。前を歩くアベックは「ねえ、何を食べようか」とウリマルで語る。
いつの間にソウルが引っ越してきたのかと驚くばかり。きっと暗い裏道を入った奥に明洞か南大門につながる地下通路があるに違いない。
ハングルの看板は言うにおよばず何軒もの韓国料理店や乾物店が軒を連ねる。韓国料理店に挟まれたトンカツ店は肩身が狭そうに見える。
冷麺がおいしいと評判の店に入ってみた。日本語と韓国語のメニュー。お客の大半が食事をとりながら楽しそうに韓国語で談笑する。店員を呼ぶのももちろん「アガシー」だ。お茶の代わりに鳥か肉のスープが出てくる。値段がちょっとアバウトだが、それがまた韓国的で嬉しくなる。
昔、韓国訪問のバイブルとして『ソウルの練習問題』という本があった。今ならさしづめ『訪韓前の新宿路上試験』なんて本があってもおかしくないかもと考えてしまう。
これだけの街が作られた背景には良くも悪くも様々な問題も内包している。日本市民がこの状況を受け入れるか否かがこれからの課題かも知れない。異文化が大量に流れ込んできたときに発動されるのは一般的に「防衛・排外」の意識だからだ。
新宿は庶民がつくった街だ。食べたり飲んだりしながら庶民の交流ができるならば、相互理解の一助になるのかも知れない。だが、自分たちだけのテリトリーをつくってしまわないかと在日の1人として懸念を感じる。
眠らない街。異文化を取り込んだ活力ある街。残念なのは、そこに在日の姿が見えてこなかったことだ。(L)
(1999.06.23 民団新聞)
|