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韓日代表OBも共催のムード作りへ

往年のヒーローが交流試合



現役顔負けの闘志あふれるプレーをみせる韓日のOB
(写真は韓国3点目のゴールを決めた崔サングのシュート)

 2002年W杯が韓日共催に決まったことから、「宿敵」といわれた、かつての韓日代表らも立ち上がった。

 「成功に向け、かつてのライバルが今度はパートナーシップを」と、OBたちの立場で共催の雰囲気を盛りあげるためにと1997年5月に韓日代表OB戦が行われた。第1回は鹿島スタジアムで行われ、第2回は同年10月に韓国の水原で行われた。

 そして、今年8月8日には、2002年W杯の決勝会場となる横浜国際総合競技場で第3回が開かれた。

 両国のメキシコW杯(1986年)アジア最終予選(85年)の代表メンバーらが熱い戦いを再現した。

 85年当時と同じく韓国は金正男監督、日本は森孝監督が指揮した。韓国からは崔淳鎬、丁海遠、黄ボガン、趙炳得ら、往年のヒーローらが参加。日本からは、木村和司、加藤久、都並敏史や昨年で現役を退いたラモス、柱谷哲二ら懐かしい顔が参加した。

 今回で3回目ともあり、試合前は和やかな空気もあったが、ホイッスルが鳴ると同時に目の色を変えてボールを追い始めた。

 試合はスピードと運動量に優る韓国が優勢に展開。0―0で迎えた後半、金相鎬(90年W杯代表)のシュートで先制後、立て続けに2ゴールを決め、一方的な展開に持ち込んだ。

 しかし、大量リードで余裕のできた韓国のスキをついて日本は、水沼、原のゴールで2点を返したが、結局、韓国が3―2で逃げ切った。これで通算成績は韓国の2勝1敗となったが、かつてのヒーローの闘志あふれるプレーに一万余人の観客も大喜びだった。OB戦は次回、韓国で開催予定。


■今後も継続

 試合後、韓国の金正男監督は「再び、両国の熱い戦いの指揮が執れてうれしい。両チームともよく走って面白いゲームができた。このような交流が両国サッカーの発展につながっていく。2002年で終わるのではなく、長く続けていきたい」と語り、日本の森孝慈監督も「勝負も大事だが、友好関係を今後もさらに深めていくことが大切だ」と継続を誓い合った。

(1999.08.15 民団新聞)



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