民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
北韓の国家的犯罪を斬る<6>

元朝総連新潟副委員長に聞く(下)



帰国者の日本での最後の記念写真
(日赤センター前)

■日赤も「帰国」を後押し

 1990年1月14日、張さんは総連新潟県本部へ出向いた。金東勲副委員長は「敵と同じようなことをやって」と内部告発を初めはなじったが、88年に北を訪問した際、行方不明問題を幹部に追及したことがあるという。幹部は「過去はマグヂャビをやったが、今は慎重にやっている」と驚くべき証言を行った。マグヂャビとは、手あたり次第に捕まえるという意味で、粛清を意味する。

 同年6月、金日成とマグヂャビをからめて「週刊朝日」に連載を始めた。すると、総連はタイトルの金日成を祖国に変えるか何かしてくれと言ってきた。金日成に忠誠を誓うあまり、マグヂャビの首謀者を祖国に転嫁しようという噴飯ものの要求である。

 行方不明者の多くは総連の幹部、学者、技術者、文化人など、「語る人たち」である。今も無事でいるのは「沈黙する人たち」だが、北の経済崩壊、飢餓状態の中で彼らもやっと生きているのが現状だ。この実態に対して、総連は「仕方ない。こうなることとは思わなかった」という態度に終始している。


■やっかい払いで「民族浄化」

 はたして、北送事業とは何だったのか。その隠された秘密を解明する上で、今年は一つの大きな契機となったと張さんは語る。それは去る3月5日、NHKで放映された海外ドキュメンタリー「国際赤十字の光と影、ホロコーストの試練、汚点を残したナチスへの対応」の中で、人道主義の守り神のような存在の赤十字国際委員会が、第二次世界大戦中、ナチスの手先であり、ユダヤ人の大虐殺を見て見ぬふりをしていたことが明らかになった。北送事業は日本赤十字(日赤)が赤十字国際委員会と組んで在日同胞を陥れた「民族浄化」策動だと張さんは指弾するのである。

 1954年1月6日、日赤が北韓の赤十字に残留日本人の帰国援助を申し入れる電報を打った。「もし帰国が許されるならば、その船便を利用して在日朝鮮人で帰国を希望する者を援助したい」との内容だった。56年1月末から日赤代表団は北に行き、2月9日に第1回会談を行った。北側は「大村収容所にいる同胞の即刻帰国実現」などを訴え、残留日本人の帰国準備を整えていると説明した。日赤は「残留日本人の帰国以外は討議する資格も用意もない」と突っぱねた。が、この話にはウラがある。


「花咲く祖国」のはずだったが

■ロッカーに眠った内部文書

 56年8月20日に発行されながら90年4月1日まで隠蔽され、発覚した後も日赤のロッカーに眠っていた内部文書に「在日朝鮮人の生活の実態」「在日朝鮮人の帰国問題の真相」がある。そこには、「日本政府はやっかいな朝鮮人を日本から一掃することに利益を持つ」などと「民族浄化」の牙を露骨にする考えが貫かれていた。

 また、赤十字国際委員会を巻き込み「彼らの一割はこのまま日本では生活できず、生活することを好まない充分な理由があり、帰国することを死ぬほど望んでいる」と説得した。一割を帰国させることを国際委員会も約束した。真のねらいは何か。「日本政府や地方自治体は毎年20数億の金を朝鮮人の生活補助や医療のために使っており、朝鮮人も気の毒だがこれだけの金を日本人に使えたらずいぶん助かる」というものだ。要するに厄介払いである。

 北送事業に関する日赤の策動についてまとめたものを、張さんは年内にも出版する準備を進めている。同事業を改めて検証し、実態を明らかにすることが最後の仕事だと語った。

(1999.10.06 民団新聞)



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