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「高橋是清公園」内に朝鮮朝の墓石発見

第9代「成宗」王側室を祀る



公園内にある墓石

■「淑容沈氏之墓」と刻まれる

 東京の港区赤坂7丁目にある高橋是清翁記念公園内に、朝鮮朝第九代の王・成宗の側室に当たる女性の墓石があることが分かった。管理する東京都や港区でも墓石がなぜ是清公園にあるのがは不明で、調査に当たった関係者らは韓国の元の場所に返したいと、より詳しい調査を進めている。

 記念公園内には韓国のものと思われる五体の石人像、九つの灯籠に混じって台座を含めて170センチにもなる「淑容沈氏之墓」と刻まれた墓石が残されている。


■庭園の装飾に利用か

 この記念公園は国道246号線沿いのカナダ大使館横にある。こんもりと木が茂った都会のオアシスともいう所。元々、日本の金融界の重鎮で首相、蔵相などをつとめ、1936年の2・26事件で暗殺された高橋是清の邸宅があった場所。38年に是清記念事業会が当時の東京市に寄付し、41年に公園として開園、75年に港区に移管された。和風庭園を公園として利用している。

 最初に墓石を見つけたのは釜山日報社の崔性圭東京支社長。2・26事件を追いかける中で公園内の墓石を発見した。「なぜこのような墓石があるのか」と墓石の表面は削り取られたような状態であったが、かろうじて読める「淑容沈氏之墓」の文字を拓本に取り、調査を開始した。


■同胞が発見、「元の場所に返したい」

 話を聞いた、壬辰倭乱など韓日の近代史を研究し、石人像の実態調査にも取り組んでいる神戸在住の尹達世さんが調査を進めたところ、朝鮮朝第9代王の成宗(1469〜1494年まで在位)の側室に当たる女性の墓であると明らかになった。本来女性は記入されないが、高貴な出身であるために記載されているかも知れないと青松沈氏の族譜を仔細に調査して判明した。

 尹氏によると、「淑容」というのは朝鮮朝の側室の官位を表し、従二品という高位階級に当たり、朝鮮朝500年の間に沈氏から淑容が輩出されたのは一人だけだという。青松沈氏の6代目・末同の息女で7代目に当たる。


■石人像も韓国から運んだもの

 どのような経緯で墓石が公園内にあるのかは管理する港区、元の管理者である東京都でも、管理するだけで一切分からないという。

 公園内にある石人像は、韓国の王墓の周辺に配置されるもので、尹氏によると公園内にある石人像も韓国から持ってきたものにほぼ間違いないという。

 石人像や灯籠は、日帝時代に韓国から数多くが日本に運び込まれ、庭園の装飾品として使われている。西日本には特に数多く残されている。

 しかし尹氏は、高橋是清は元々韓半島との関わりは薄く、このように多くの石人像や灯籠があるのか不明である上、なぜ墓石まで持ってきたのかと疑問を呈する。「成宗の墓所はソウル市内のロッテワールドの近く、靖宗公園内にある。本来ならば淑容沈氏の墓もソウル周辺にあったはずで、できれば元あった場所に戻してあげてほしい」という。

 尹氏と崔支社長ともども、より深い調査を続けて墓石が日本に持ってこられた経緯や元の所在地を調べ、港区など関係者に韓国に返すように要請していくという。

(1999.11.03 民団新聞)



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