民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー

21世紀の自画像



 「在日」が多様化、見えない存在になっているといわれて久しい。1世は全身で「在日」を体現していたのに対して、2世以降の世代は、通名を使っていれば日本人との判別は到底不可能だ。

 古典的な民族概念からいえば、今日、「在日」の多くは韓民族の範ちゅうからはみだしてしまうことだろう。言語はもとよりのこと、「血」も薄まっている。日本人とのダブルはあたりまえ、いまはクォーター(四分の一)も珍しくない。

 洪淳瑛外交通商相が日本人記者団との会見でいみじくも述べていた。

 報道によれば「日本に滞在する在日韓国人は日本国籍を持たないが、永住権を持っている。日本国籍ではないがすでに日本人である。在日韓国人は日本社会に同化していくことが日本に寄与することができ、日本国民のためにもよいことだと思う」(産経新聞、11月9日付け)と語ったという。

 確かに「在日」の多くは日本に「同化」している。「親日」の立場からこれからも日本社会に寄与していきたいと思っている。しかし、「日本人」ではない。1世から受け継いだ民族の血を大事に、これからも「在日」として生きていきたいと思っている存在がほとんどだ。

 「在日」が「在日」であることを忌避し日本国籍取得を志向しているのなら別だが、出自を自覚し、本名を隠さないで生活している限りは「在日」と規定していい。これからそうした大きな母集団を形成していかなければならない。

 21世紀に向けて「在日」の新たな自画像を描いていけるのかどうか。

 ひとえにわれわれの内なる意識の在りようが問われている。(P)

(1999.11.17 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ