民団新聞 MINDAN
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銃殺≠ニでっち上げの無法地帯

亡命の李さん、北韓女子刑務所の実態語る



北韓の悲惨な事件状況を
語る李順玉さん

■人権改善へ継続注視を訴える

 北韓から95年、子息の崔東哲氏ともども命からがら韓国に亡命した李順玉さんが、北韓の人権状況改善を訴えるため崔さんを伴い来日した。20日、東京の労働スクエア東京ホールで「北韓の人権と女子刑務所の実態を語る」(同招請実行委員会主催)と題して講演した李さん親子は、自由と人権こそ北韓の体制を変えるカギだと述べ、引き続き関心を持ち続けてほしいと強く訴えた。

 李さんは北韓の元労働党員。咸鏡北道穏城郡幹部物資供給所所長時代の86年、無実の罪を着せられ、平安南道价川の社会安全部第一教化所(刑務所)で投獄生活を強いられた。「国家財産横領罪」で13年の判決だった。

 もとはといえば、警察署長から賄賂を要求されたのを断ったためだった。しかし、李さんは清津郊外の農圃集結所で生涯忘れられない肉体的拷問の末、でっち上げの自白書に押捺させられる。拒否すれば、夫と子息の生命を保障しないと脅かされたためだった。


■国際的な関心が必要

 女子刑務所に入れられた李さんは、何の罪もない主婦が連座制のために収監されている事実を目の当たりにしてがく然とする。この中には60年代から70年代初頭にかけて日本から「帰国」した在日同胞も含まれていたという。その一人、金・ジョンスンさんの夫は民団系ということでスパイ罪に問われた。金さん自身も「夫がスパイであったことを申告しなかった」罪をかぶせられた。金さんは「だまされた」と涙ながら李さんに語った。

 李さんは北韓の人権状況を象徴する例として、収監中の主婦が子どもの安否を気遣ったために公開銃殺された事実を挙げた。この主婦には5歳と7歳の子どもがいる。夫は炭坑事故で死亡した。残されたわが子の安否を心配するあまり、「子どもを飢え死にさせる政治をするな」と述べたことが罪に問われたのだ。

 李さんは「無実の人たちが今この瞬間にも死んでいっている事実を一人でも多くの人に知ってほしいからこそ来日した。1回聞いてお終いにせず、引き続き関心を持ち続け、北韓の人権状況の改善を促していってほしい」と、涙ながらに語った。


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李順玉さん、北韓脱出の経緯

 1947年清津市内生まれ。70年4月から穏城郡商業管理所の65号供給所に責任者として勤務中、同郡の安全部長から息子の結婚式に使うからと背広の下手地を要求され、一着分は都合した。さらにもう一着要求されたのを断ったために覚えのない国家財産横領罪の罪を着せられ、13年の刑を宣告される。

 92年12月に恩赦で釈放されたが、一人息子は金日成総合大学を退学になり、夫も穏城高等中学校の校長から山間奥地のたばこ農場の労働者に追いやられたことを知る。せめて息子には人間らしく生きられる場所で暮らさせてあげたいと94年、北韓を脱出した。

(1999.11.24 民団新聞)



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