民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
1900年代に贈る言葉



 1900年代の最後の年、99年が間もなく終わりを告げ、新しい1000年の幕開けの年、2000年の胎動が聞こえてきます。一つの時代を見送り、一つの時代を迎えようとする今、私たち在日同胞は過去に何を思い、現在をどのように生き、未来にいくつの夢と希望を託すのでしょうか。

 「弱肉強食」の力の論理が支配した20世紀に、わが民族は数々の苦難を強いられてきました。とりわけ日本の植民地支配によって国を奪われ、民族の文化を象徴する言葉や名前を抹殺され、生きる道を求めて他郷暮らしを余儀なくされました。その一つの結果が今日の在日同胞の姿です。

 日本社会のいわれなき差別と偏見の中で、在日同胞一世は日本で生まれた二世の将来を案じてその日その日の生計を何とか守り、来るべき解放の日と祖国への帰還を待ちわびていました。


■祖国の分断と民族の分裂

 そして、日本の敗戦を期に在日同胞一世は生活権を守るために韓国民団を結成していきますが、「光復の日」は祖国と民族に真の輝きをもたらすことなく、祖国の分断という新たな悲劇を突きつけました。

 さらに、北の金日成徒党が引き起こした民族相殺の6・25動乱は、在日同胞に帰国を断念させたばかりか、同族間に拭いきれない憎悪と不信を植え付けました。南北2000万の離散家族はその最たる犠牲者で、今も望郷の念を抱きながら「北の大地から南の空へ」と恨は尽きることがありません。

 また、在日同胞社会にも「38度線」の対立が持ち込まれることになり、各地で民団と朝鮮総連(総連)との衝突が起きたり、一つの家族の中にも、双方の支持者が分かれて家族が崩壊するという悲劇を生みました。

 このような先行きの見えない日本社会に見切りをつけた同胞は、総連が流布した「北は地上の楽園」との宣伝文句を信じ、北に渡って行きました。その数は日本人妻6000人を含めて9万3000余人にもなりますが、その同胞たちの多くは現在、閉ざされた自由のない暗黒の闇の中で行方が知れません。餓死者が300万にも及ぶという食糧難の酷寒の北の地で、かつての在日同胞の慟哭はいつ誰が止めてあげることができるのでしょうか。


■力の論理から和の哲学へ

 1900年代にこの世に生を受けた在日同胞は、この時代に翻弄されてきたと言っても過言ではありません。弱者ゆえに呻吟してきた同胞総体の歴史と自らの人生を振り返る時、次世代のために教訓として何を残し、その上で託すものは何でしょうか。

 それは在日同胞がよって立つ同胞社会の経済基盤の安定であり、日本人と対等に生きていくための法的・社会的な環境の整備にほかなりません。

 地方参政権を獲得し、異なる民族性が尊重され、基本的人権が保障され、共に生きる共生の哲学をこの日本の地に築きあげましょう。と同時に本国との絆を深め、在日同胞の立場から本国にも発信していくことが、在日同胞の生をより豊かなものに昇華できると確信します。

 在日同胞とこれからも共にあり、在日同胞のために尽くすという原点を常に忘れないことが、在日同胞社会を維持、発展させる必要条件です。

 次世代が生きる21世紀には、力の論理ではなく、和の哲学が在日同胞社会のキーワードになるよう、2000年をそのスタートの年にと、祈りを込めて99年を送りたいと思います。

(1999.12.22 民団新聞)



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