| 顎の長い大きな赤ら顔の面をかぶって踊るこの舞は、勇ましく荘厳で神秘な踊りだ。昔新羅49代の憲康王がどこかえ行幸の折、奇怪な踊りをする偉人(インド人)を見つけ宮中に連れ帰り、宮中の行事に踊らせたのが処容舞の始まりだという。別の一説には、憲康王が行幸の帰りに開運浦で連れ帰った踊りの上手い竜王の息子が処容で、彼は自分の妻を犯した魔神の前で踊りと歌を持って辟邪の機能を発揮したということから、宮中の専属舞踊手になったという説もある。いずれにしても衣裳や踊りの所作から見ても、宮中や官衛の保護のもとに伝承されてきたのには間違いなく踊りの中に荘厳さと気品がうかがえる。
舞踊手の人数によって、五方処容舞などと呼ばれるが、特色は踊り手がみな男ということと、踊りながら「新羅盛代昭盛代」とか「山河千里国」などの唱詩を歌うことである。
画・文
木丁・金龍煥
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