| 別の名を撃毬ともいい、英国のポロ競技によく似ている。唐を経て西粋から舶来した。勇ましい競技で、高麗時代、端午節に若い武官や貴族の子弟達が、王の親臨のもとに催された宮中を中心とした遊戯であった。
騎馬姿で派手な服装の隊員たちは東西に分かれてたち、号令と共に手にした3人くらいの「持彼」という棒先についている「拝至」に毬を掬い上げて、このまま毬門と通り抜けるのだが、10人の内2〜3人がやっと成功するという。味方は全員下馬し、王の前に出て再拝したあと、下っていくという。朝鮮朝中期以後、この騎馬撃毬は馬術と武芸の練武手段から抜け出し、また貴族趣向からも離れて、徐々に民衆の遊びになった。
画・文
木丁・金龍煥
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