| 高麗初期中国からナレ(難礼)という儀式が伝えられ、後に演劇的要素が加わり、朝鮮朝に至っては山台雑劇という仮面劇に変わって宮内でも行われるようになった。その後、中国より使臣が来たときは、この劇を見せて歓待し、そのためにこの仕事を専担する都監まで設置され、後には山台都監劇といわれるようになった。
後代にはさらに一般民衆にもうけるようになり、仮面をかぶって歌や踊りで表す両班や破戒僧に対する嘲笑と諷刺は大いに民衆の喝采を得た。山台というのは、これらを上演する広場などに立てられた仮設舞台のことである。
楊州は、京畿道内の首都ソウルに近い、小さな街名である。
このほかにもソウルに近い場所で行われた仮面劇が本山台、松波山台などといわれて有名であった。この絵は山台劇の見せ場である破戒僧が未成年遊女と馬丁の逢い引きに意見をしている図である。
画・文
木丁・金龍煥
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