オリニ育成事業再開へ…青年会も地方大会を開催

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「オリニ育成事業」再開へ
 青年会愛知県本部(趙泰輝会長)の第44回定期地方大会が5月1日、愛知韓国人会館で開催されました。

 新型コロナ感染防止の観点から、最小限の人数での開催となり、来賓も縮小しながら、会場では、ソーシャルディスタンスの保持、充分な換気、体温測定、アルコール消毒、マスク着用など対策を万全にした上で行いました。

 大会では2021年度活動報告・収支決算の承認と新年度方針案・予算案の審議採択が行われました。
 新年度の活動方針では特に、新型コロナの影響で休止していた小学生から高校生を中心としたオリニ育成事業の再開に向け、準備を進めていくことが確認されました。

青年会とは?
 青年会は民団の傘下団体で、日本で生まれ育った18歳~35歳までの韓国にルーツを持つ青年を対象にした全国組織です。

 青年会は、日本で「自分らしく」生活してゆくために、在日韓国人の教育や社会的な権利の向上などに力を入れながら、近年では青年どうしの交流や、国籍にとらわれない多様な視点での活動を行っています。
 在日韓国人青年が、日本と韓国を舞台とした異文化コーディネーターとして、韓日の架け橋的な役割を担えることを目指しています。国際化が進む社会の中で、一人ひとりが自分らしさを大切にし輝くことができる未来に向けて、青年会では、日本や韓国を舞台にし、たくさんの青年と手を結びながら様々な活動を進めています。

青年会愛知インスタグラム https://www.instagram.com/seinenkai_aichi/
青年会愛知ブログ https://ameblo.jp/aichi-seinenkai/



民団に必要不可欠な青年会
 在日同胞史をたどる時、在日韓国青年運動史を欠かすことはできません。
 1919年の“2・8独立宣言”を起点とした在日韓国青年運動の伝統と原則は、70年ちかくの歳月を経て、現在、青年会へと継承されています。かつての民団傘下の青年組織の誕生がそうであった様に青年会も、結成に至るまでに様々な混乱と時代の激動を通過してきました。その期間が1970年代の初頭の“民団混乱事態”から青年会の結成がなされた1977年までの間です。民団内部に潜行していた朝総連のフラクション一派、“有志懇”によって、ひき起こされた一連の暴力と不条理が“民団混乱事態”です。「東京本部襲撃事件」「三機関長殴打事件」等の事件にも見られた様な無秩序と破壊行為の先兵として立っていたのが、当時の民団傘下にあった“旧韓国青年同盟”並びに“旧韓国学生同盟”です。“有志懇”の影響下にある一部指導層の誤導によって、在日韓国青年運動の流れは、極めて危険且つ独善的な方向へとむかおうとしていました。韓半島全体を視野に入れた評価基準の欠如や、極めて政治的な運動路線への傾倒による観念的体質もさることながら、一般在日同胞青年の素朴な欲求や、在日同胞社会自体の変化への能動的対応の欠如が、旧韓青・学同運動の限界性を示して余りあると言えるでしょう。
 これらの運動体の在り方に疑問を持ち、同時に余りにも野蛮な暴力によって義憤にかられた青年有志が一同に会し、1972年5月2日、「韓青中央執行部乱動糾弾大会」を開催したのです。集会当日、旧韓青の青年たちが、集会阻止の為に会場内に乱入しようとしましたが、独力でこれを排除し、在日同胞社会並びに青年に向けて、旧韓青・学同の誤った在り方を糾弾しました。この集会を起点に、民団正常化に向けて、これらの青年たちは奔走し、旧韓青と物理的に衝突しながら組織整備に携っていったのです。この時期にあって、数々の犠牲を出しながらも、民団正常化の為に献身的に闘った青年たちが、青年会の結成の礎となった先輩たちです。
 1972年7月7日の民団第20回中央委員会によって“民団混乱事態”は、一応の終止符が打たれ、同時に旧韓青・学同も傘下団体取り消し処分を受け、在日韓国青年運動史は空白期を迎えました。そして次なる青年運動の担い手としての青年会結成への動きがつくられていくのです。

愛知県本部の誕生
 そのうち全国単位の青年組織の必要性が各地で叫ばれはじめ、在日韓国青年会が広島県本部を初めに全国で結成されていきました。愛知県では旧韓青が傘下団体取り消し処分を受けてからわずか半年後に「花郎会」という会が発足し、県内同胞青年の結束を目指して活発に運動を続け、1975年5月18日「花郎会」のメンバーを中心に金知弘会長のもと「在日本大韓民国青年会愛知県地方本部」が結成されました。

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