離散家族としてのわが家 韓国現代史研究家 金一男 「帰国運動」にからむ、筆者個人の家庭事情について述べたい。19歳の父は、すでに日本に来ていた姉を頼って玄界灘を渡った。1937年のことである。翌年、一時帰国していた父と全羅南道和順で挙式した母もまた玄界灘...
朝鮮放送協会最期の日々 山崎金三郎の甘苦い記憶 何もかもあつけらかんと西日中久保田万太郎 「終戦」と前書されたこの句には、戦争のくびきからの解放感と激しい陽射しにさらされた喪失感が交錯している。 19...
冬瓜の串焼き 蒸し暑い日が続いていますね。今回は前回と同じ冬瓜を使った「トングァジョク」という串焼き料理です。『飲食知味方』には、大きめの冬瓜を使い、肉の串焼きくらいの大きさに切り、同じように串に刺し、ゴマ油の入った醤油で下味をつけて金網で焼くとあります。
忘れたはずの故国…病床で 私は子どもの頃、母の眠っている姿を見たことがない。朝起きて母のもとへ行くと、店や台所で立ち働いている母は私を着替えさせ、髪を梳かしてくれた。子どもの寝る時間は夜9時の決まりだったが、店の灯はまだ明るかった。店は早朝から深夜12時まで開けていた。物心がつい...
世界記憶遺産選出で再照明 清見寺から道幅の狭い農道を歩き、難所「薩埵(さった)峠」に向かった。 峠を越えるルートは3つ存在していた。「親知らず・子知らず」と言われた下道は、峠の絶壁を通る。波が引いたその瞬間しか渡れない危険な道だった。しかし安政の大地震(1854年)で海岸...
夏野菜をさっぱりと 夏から秋頃が旬となる夏野菜「冬瓜(とうがん=トングァ)」の料理が『飲食知味方』にも登場します。野菜の中でも保存性が高く、夏に収穫した果実を風通しのいい冷暗所に置けば冬まで貯蔵できる」という意味から「冬瓜」と呼ばれるようになったそうです。 果実...
「祖国は地上の楽園」との北韓当局・朝鮮総連中央の虚偽宣伝および「人道的事業」だとする日本政府・政党の積極的協力と日本マスコミ・進歩的文化人らの北韓体制賛美キャンペーンのもとで推進された「北送事業」(1959年12月〜84年7月)の開始から今年60年になる。同事業で北韓に渡った9万3340人(在日人口の7分の1に該当。日本国籍者約6800人含...
ビーチリゾート数多く 100年超す海水浴場も 釜山の海といえば釜山港のイメージが強いが、日本から一番近いビーチリゾートとしても、おすすめの地といえる。 海沿いに発展する市内には、海雲台海水浴場や広安里海水浴場、松亭、松島、多大浦とい...
慶州第1教会の行進 民族文化運動の口火に 一昨年、慶州の教会で最も伝統がある慶州第1教会(1902年設立、以下第1教会)の長老が慶州の近代を研究している私のことを聞きつけ、突然我が家を訪ねて来た。曰く、植民地期、第1教会は1919年の慶州3・1運動を主導したが、100周年を前に...
日本の「おこし」風 今回は「パクサンポッ」という韓菓です。『飲食知味方』には、もち米粉を上等なお酒でよく練って蒸し、竹の麺棒で麺を作るようにのばす、そして小豆くらいの大きさにきざんで乾かし油で揚げる。揚げた物をハチミツにまぶして固め、表面を平らにして切るとあります。朝鮮朝時代に...