掲載日 : [2016-12-07] 照会数 : 6510
60年代の猪飼野在日同胞を記録…未公開写真4000点見つかる
[ 新幹社出版の「写真集猪飼野‐追憶の1960年代」(03年)から ] [ 若い女性も興味深そうな表情(大阪市立御幸森小) ]
【大阪】1960年代の旧猪飼野(いかいの)地区を舞台に、在日同胞の暮らしぶりを撮影した未公開の白黒写真約4000点の存在が明らかになった。撮影したのは今年4月に78歳で死去した在日1世写真家、智鉉さん。長女智恵さん(48)が実家で遺品を整理していたときに偶然見つけた。これら記録写真の一部は11月27日までの5日間、生野区の市立御幸森小学校で公開された。
智鉉さんの遺作
生野で展示会
タイトルは「追悼・智鉉猪飼野写真展」(同実行委員会主催)。選りすぐりの50点をパネルにして展示。このほかの写真もデータ化して映像で流した。
民族衣装で路地裏をゆうぜんと歩く女性たち、にんにくやら干し魚やら白菜ががうず高く積まれた「朝鮮市場」、満面の笑みで力強く生きているハルモニの横顔など、いずれも在日同胞の歴史をいまに伝えるものばかり。会場を訪れた市民は「あの写真は懐かしいな」と目を近づけて感激する姿が見られた。
会場で智恵さんは「あの厳しかった時代、苦労しながらもたくましく生きてきた同胞の写真から当時の歴史、息吹を感じる。在日同胞が不条理や差別のなかで懸命に生きた証しとして見てもらいたい」と語った。
猪飼野は現在の大阪市生野区と東成区をまたがる地域。百済系渡来人が開いたといわれ、名前の紀元は奈良時代にまでさかのぼる。地域を流れる平野川はかつて百済川と呼ばれていた。「コリアタウン」の愛称で親しまれている御幸通り商店街の「御幸通り」は仁徳天皇がこの地に御幸したことに由来する。20世紀に入ってからは数多くの同胞が済州島などから渡ってきた。
智鉉さんは済州島出身。出稼ぎで猪飼野に暮らしていた父親を追って48年、10歳で移住。少年期は民族差別と貧困の屈辱を味わいながら育った。「猪飼野は第2のふるさと」と、27歳の時から半世紀もの間、猪飼野地区を撮り続けた。その数、約5000カットにのぼる。
作品の一部は生前、「写真集猪飼野‐追憶の1960年代」と題して03年に東京の新幹社から出版した。
(2016.12.7 民団新聞)