掲載日 : [2016-11-30] 照会数 : 5650
サラム賛歌<19>善き人の縁 断絶を越えて
大邱に住む旧友
朴相姫さん
韓国を初めて訪れた1979年、大邱の大学で日本語を学ぶ女子学生の家に一泊、ホームステイをした。その後しばらく文通を続けていたが、いつの間にか連絡がとれなくなってしまった。メールも携帯電話もなかった時代だ。
それから30年余りの間、私はどうやったら彼女を探し出せるだろうかと、幾度も考えた。テレビの尋ね人のコーナーに出てみようかとも思った。
なぜ彼女をそんなに探すのかと言うと、私が韓国に留学するきっかけを作ってくれた人だからだ。私たちは初めて会った日、夜更けまでたわいないおしゃべりに興じた。ところがふいに、彼女は苦しそうにこう言った。
「あなたはいい人だけど、でもあなたは日本人だから、やはり私はあなたが憎い」
びっくりした。私はそれまで、日本が朝鮮を侵略した歴史について、深く考えたことはなかった。自分が恥ずかしくて情けなくて、悲しくなった。その時代のことを知りたいと、強く思い始めた。
彼女と別れるとき、私たちはしっかりと抱き合って、人目もはばからず、わあわあと大泣きしたことを、鮮明に覚えている。
4年前のある日、一通の韓国語のメールが届いた。「私の母が、あなたを探しています」と。
娘さん曰く、何日か前に実家でお母さんの昔の写真や手紙を整理したとき、大学時代に知り合った日本人の話を聞いたと言う。そこで私の名前を検索してみたところ、私が韓国の雑誌のインタビューに答えた記事が出てきた。私が、彼女のお母さんとの出会いについて話した部分を読んで、「間違いない」と思い、私のメールアドレスを探し当てたそうだ。
なんと嬉しいことだろう。彼女の方も私を、忘れずにいてくれたとは。この世には、こんなふうに善き縁がある。だから人生は楽しいのだ。
互いの家族を伴って、ついに33年ぶりの再会を果たした。彼女の名は朴相姫さん(59)。ずっと私の心に、その名前があった。だけどあまりにも久しぶりで、お互いに何から話せばよいかわからない。自然と家族の話題ばかりになった。
最近になって大邱で、今度は二人だけで再会した。互いの人生をふり返り、これまでどんな道を歩んできたかを話し合った。相姫さんは言った。
「私、あなたに会うのがすごく恥ずかしかったの。だって私は、大学を出てすぐに結婚して、主婦として二人の娘を育ててきただけ。この町を離れて暮らしたこともない、平凡な人生だから。あなたは行きたいところに行って、やりたいことをやって来たのね」
「私がそうして来られたのは、あなたと出会ったからよ」
私の答えに相姫さんは、はにかみながら微笑んだ。学生時代の、あの笑顔だ。お互いすっかりアジュンマになってしまったけれど、私たちはこれから、もっと楽しくつき合っていけるだろうと、嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
「次は、仁川に遊びに来てね」
「一人でそんな遠くまで行けるかしら」と戸惑う彼女に、私は言った。
「私がソウル駅まで迎えに行くわ!」
戸田郁子(作家)
(2016.11.30 民団新聞)