掲載日 : [2016-09-07] 照会数 : 6559
次代に語り継ぐ教訓…関東大震災殉難同胞を追悼、慰霊
[ 韓国人慰霊碑前で焼香する参列者(横浜市) ]
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火をした」「暴動を起こす」といった流言飛語を信じた人たちによって数千人の同胞らが殺害された関東大震災(1923年9月1日)から今年で93年。「なぜ、殺されなければならないのか」という被害者の悲痛な叫び声はいまも消えていない。多くの犠牲者を出した神奈川、埼玉、千葉でも慰霊と追悼の式典が行われ、民団関係者が参列した。
慰霊碑前で焼香
民団神奈川
横浜は東京と並んで関東でもいちばん早く虐殺が始まった地域と考えられている。これは神奈川県内に戒厳令本部や在郷軍人会の本部が置かれていたこととも無縁ではなさそうだ。
横浜市南区の宝生寺には「大正一二年九月二日 虐殺韓国人諸霊位」と書かれた位牌がある。震災直後から身の危険を顧みず、同胞の遺体の収拾や埋葬、慰霊活動をしてきた社会実業家、李誠七さんが施主となった。同寺では震災の1年後から追悼法要を行ってきた。その後、民団神奈川本部が引き継ぎ、70年には境内に韓国人慰霊碑を建立した。
1日、本堂で法要が行われ、民団関係者約60名が参列した。震災発生の11時58分に慰霊の鐘が鳴らされた。そのあと慰霊碑前で焼香した。
横浜市国際局国際連携課からは三枝史裕課長が参列した。金利中民団神奈川団長は「民団社会の世代は変わってきているものの、関東大震災で在日同胞が虐殺にあった歴史に関しては今後も忘れないで伝承していく」と述べた。
支団長が追悼辞…埼玉2市1町で
埼玉県では東京から群馬方面へと避難しようとしていた同胞が、途中の道筋で軍隊や警察ではなく、自警団と群衆によって虐殺された。1日には事件現場となった本庄市、上里町、熊谷市が民団と総連の関係者を招き、慰霊祭・追悼式を行った。民団埼玉(田 団長)からは役員43人が参列。地元の各支団長が追悼辞を読んだ。
儒教式祭祀営む
民団船橋
千葉県では船橋を中心に習志野、市川、八千代、浦安などで少なくとも300数十人の同胞が犠牲となったといわれている。当時、建設の途中だった北総鉄道(現・東武野田線)の工事で働いていた労働者とその家族、および東京方面から親戚や知人を頼って避難してき人たちだった。
民団船橋支部(李鍾城支団長)は1日、支部会館内に祭壇を設け、儒教式の祭祀を営んだ。民団千葉本部から金鎭得団長と李林潤議長が参席して大礼を捧げた。
船橋市の馬込霊園には「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑」がある。これは解放直後、同胞団体が建立した。慰霊碑左手の小さな「法界無縁塔」碑は震災直後の1924年に船橋仏教会によって建てられた。
(2016.9.7 民団新聞)