金日成の「高麗民主連邦共和国」提案から40年
「民主」の原則を欠く提案
金一男(韓国現代史研究家)
今から40年前の1980年10月10日、第6次朝鮮労働党大会において、金日成・北首相は韓国の全斗煥政権に対して「自主・平和・民族大団結による統一」をうたう「連邦制統一」方案を提案した。これが、「一民族・一国家・二制度・二政府」による「高麗民主連邦共和国」である。
この「連邦制統一」方案の中身を検討する前に、確認しておくべき点がある。この提案では、統一原則として「自主・平和・民族大団結」が提示されているが、本来の統一原則である「民主・自主・平和」の3原則のうち、「民主」の原則が欠落している。40年を経た現在もなお、北はこの「高麗民主連邦共和国」構想の立場を維持している。
◆「民主」がなければ「自主」もない
この「民主」原則の欠落は、2000年の南北首脳会談で出された「6・15宣言」においてもそのまま維持された。南北対話を実現するために金大中大統領があえて北側に「譲歩」したと解することもできるが、致命的な「譲歩」であった。
民族再統一における第一の基本原則は「民主」でなければならない。民族成員全体多数の意思決定に従って分断権力による統制を解除し、統一的政府権力を新たに創出することが「民族統一」の意味するものだからだ。
「民主・自主・平和」の統一三原則は三位一体のものであって、どれを省いても意味をなさない。とりわけ、「民主」をないがしろにした「自主」は存在しない。国家における真の「自主」は誰か一人の権威に基づくものではなく、国民多数の自発的創意と合意、すなわち民主的力量に依存するからだ。
◆「民主」原則の根本的な重要性
また、「民主」なくして「平和」もない。現代における「平和」の砦は「民主」によって築かれている。成熟した民主力量のまだ乏しい国々は絶えず騒乱に苦しみ、民主がすでに確立された国々では、一見まとまりに欠けるように見えながら、国民全体による合意の熟練を通じて「平和」が守られている。
そもそも、わが民族がかつて「亡国」とそれに続く「国土分断」の悲劇を経験しなければならなかった理由も、近代激動期の我が国に新たな国民的結束を保証する民主的土壌が不足していたからだった。
したがって、「民族統一」の過程は必ずまず「民主」の原則に、一人ひとりの自由な意思の結束に直接に依拠しなければならない。それはすなわち、統一過程における手続き的作業として、民族成員全体の選択的意思を問う「南北統一総選挙」の過程を経なければならないということを意味している。
民族の再統一は同胞全体、同胞一人ひとりの幸福を追求するためのものであって、既成分断権力の便宜をはかるためのものではない。「民主」の欠落した「民族統一」論、権力者同士のボス交渉による統一論議は、実現性のないニセの民族統一論である。
これは、ある国が到達した社会的な水準と国民的な質が、その国の権力の質を規定するということでもある。
◆「高麗民主連邦共和国」方案の中身
北が1980年に提案し、現在もその立場を維持している「連邦制統一」方案は、①「南北が互いの思想と体制の違いを認め」て「連邦政府と地域政府とを区別し」、②「(南北の既存の)地域政府」とは別に「南北が同一の権限と義務を負う民族統一政府を設立し」、③「連邦共和国を創立して祖国を統一する」というものである。
具体的には、①「(南北の既存の)地域政府」とは別個に、「(統一議会としての)最高民族会議」を創設し、②常設執行機関としての「連邦常設委員会(連邦政府)」を構成し、③「連邦政府の指導下に」「(既存の)南北地域政府がそれぞれ独自の政策を実施する」、④「連邦国家の性格は自主・民主・中立」とする、というものである。
ここには「統一憲法」と「南北統一総選挙」、そしてそれによる南北社会の等質化作業の規定はない。南北の「分断権力」が維持されたままの「連邦体制」が最終段階とされている。
新しい国が生まれるわけではない。南北の古い分断国家体制がそのまま結び付けられているだけだ。
◆南北対立的要素はそのまま残存
ここでの形式上の「連邦政府」の任務は、「民族の全般的利益にかかわる」分野、すなわち「(連邦機構運営に関わる)政治」「国防」「対外関係」に関する「討議と決定」の作業、に限定されている。
南北住民の具体的な生活に直結する「国家的統治」は、南北別々の「地域政府」が、すなわち現在の二つの国家機構が、「独自に」これを遂行するからである。南は「自由民主主義」国家として、北は「社会主義」国家として、それぞれ別々の社会経営原理に基づいて生活し続けるわけである。
国民の生活そのものは何も変わらない。二つの古い敵対的な分断国家権力機構が、その根源的な対立関係と共に維持されることになる。
(2020.09.16 民団新聞)