掲載日 : [2016-03-09] 照会数 : 6604
復興未だ でも前向き…3・11東日本大震災から5年
[ 宮古・山田の同胞を激励する民団岩手本部の役員(昨年6月) ]
東日本大震災発生(3月11日)から間もなく5年。道路・鉄道、公共施設などのインフラ復旧が進む一方で、いまも約9万人が仮設で暮らす。公営住宅の建設や、集団で移転する高台の造成も遅れ気味だ。東京電力福島第1原子力発電所事故の影響で避難生活を送る同胞は「もう戻れないかもしれない」と悲痛な声をあげる。被災地の民団では同胞被災者の心の支えになれないかと心を砕いている。
心砕く被災地民団
花見兼ねて激励会も
陳愛子さん(60代)は福島県郡山市で避難生活を送る。半壊した双葉郡富岡町の実家周辺は放射線量が特に高いと計測される通称「ホットスポット」地域だ。環境省は9月まで重点的に除染作業を行う考えだ。
「特に雨漏りしたところで線量が高い。家のなかを見たらキノコが生えていた。取り壊す以外に方法はないでしょう。除染の終わるのを待っています。おそらくもう戻れないでしょう」と陳さん。眠れない日々はいまも続くという。いまも睡眠導入剤を手放せない。
兵庫県西宮市で避難生活を送る朴三貴子さん(50代)は、福島県南相馬市の出身であることを隠している。自家用車のフロントガラスに「放射能 危険」と書かれた紙を貼られる嫌がらせがあったからだ。最近、神戸ナンバーに変えた。
朴さんは「1、2年前までは帰れると思っていた。でも、2人の子どもが地元の中学、高校に通うようになってからは、もう戻ろうにも戻れなくなった」と話す。
岩手でも復興は思うようには進んでいない。日本籍同胞の斉藤秀民さん(66、釜石市)も3月に竣工するはずだった「復興住宅」の建設が遅れ、いまだに仮設暮らし。人恋しさから民団の主だった行事には2時間かけても顔を出す。「同胞の顔を見るとほっとするし、安心感を覚える」からだ。
今年の3・1式典では民団役員から「斉藤さん、独りではないんだよ。みんがいるんだから。みんなが守ってくれているんだよ」と声をかけられた。斉藤さんは「うれしかった。来てよかった」という。被災地の民団では被災者のために、暖かくなったころを見計らい、花見を兼ねた激励会を予定している。
朴夏博さん(66)は、岩手県山田町の家と店舗を津波で流された。いまは宮古市で小さな中華料理店を経営しながら、山田町で事業を再開する日を夢見る。しかし、現地ではかさ上げが思うように進まない。なによりも、銀行からの借金が増えるのを家族が嫌がっている。朴さんは「多勢に少数。多数決で負けている」と笑う。それでも夢を追い続けていくことこそが、新たなエネルギー源となっているようだ。
李花順さん(40代、宮城県石巻市)は韓国から日本に定住してすでに10年。「復興住宅」の建設にはあと3年はかかるといわれており、いまだに仮設暮らし。気晴らしに小さなチマチョゴリの折り紙をお年寄りに配っている。「きれいだね」と喜んでもらえるのが生きがいだ。最近は趣味でヘアピンやブローチ、マカロンの小銭入れも手作りしている。
民団宮城本部は1日の式典に参加した李さんを歓迎し、励ましの言葉をかけた。李さんは、「毎日、今日一日を楽しくがモットー」とけなげに笑った。呉玉順さん(40代、宮城県亘理市)は震災から4年目にして半壊した家のリフォームを終えた。費用は土木現場で清掃のアルバイトをして賄った。「少し希望が見えてきた。いまはただ前を見て歩いていくだけ」ときっぱり。
(2016.3.9 民団新聞)